【生まれてきた日を忘れても】

「誕生日祝い?いらない。ガキじゃあるまい」


 はけで薄く引かれた雲に、やんわり包まれた朝。弱い陽ざしに照らされる植物に水をやるおれの同居人は、きっぱりとそう言った。


「俺、もう誕生日とかそんなことで浮かれるような歳じゃねぇし、それに、今日は帰り遅くなるし、明日も早いし、今年はなんにもなくてよし」
「でも」


 ガスレンジに火をつけ、コーヒーを作っていたおれはそこでぱっと目覚めた。


「去年もそう言って何にもしなかったじゃないですか」
「大丈夫、そのぶんお前の誕生日のときはかなり騒いだから。プラマイ0」
「それとこれとは別です。確かにおれの誕生日のときはけっこうはしゃいでいましたけど、おれの誕生日と宍戸さんの誕生日、やっつけ仕事のように一緒くたにしたくはないんです」


 とおれは抗議すると、水をやりきった宍戸さんは、じょうろをぴっぴと振って水滴ののこりを出しきった。葉っぱの水滴が光を反射しない、薄寒い朝だった。
 彼は興味なさそうにあくびをすると、黙ってイスに座ってしまった。どうやら彼は本格的に自分の誕生日をシカトする気でいるらしい。こうなってしまった宍戸さんにはもはやなにを言っても無意味なことを、おれは嫌なほどわかっている。その決して、あたたかくも、冷たくもない態度に従うことにして、おれは朝の早い宍戸さんの前におみそ汁とごはんを出す。箸を取りかつかつとごはんをかき込む彼の向かいに座り、コーヒーカップに隠れておれはこっそり嘆息していた。
 早朝、秋らしく陰鬱としていて、外からは朝の早いトラックの音くらいしか聞こえてこない。窓辺の緑は寒々しく煙った色に輝き、薄いベールのような雲がゆっくり流れていく。
 のんびりとした、平和に肌寒い朝だった。
 とっても平和で、安穏で、おだやかだった。


「それじゃ、俺そろそろ時間だ。行ってくる」
「はい、いってらしゃいませ」


 玄関で素早く靴をはくと、宍戸さんは笑って出ていった。今日も、笑って出かけてくれた。
 それを確認してほころぶおれは、ゆっくりのびをすると、さて今日はなにをしようかと自分に問いかけた。今日も今日とておれは暇なのだ。
 大学を卒業して数年経った頃、おれは自分の仕事をやめて宍戸さんが一人で暮らすマンションにとついできた。半ばおしかけ女房のようなかたちで、強引に始まった同棲生活は、やっぱり最初のうちは衝突することが頻繁だった。けれど、時間と辛抱とをゆっくり気長にかけていくうちに、必要以上の衝突をすることはなくなった。
 宍戸さんが仕事に出ている間、おれはそうじをしたり、洗濯をしたりしたが、後はテレビを観たり、読書をしたり、ピアノを弾いたりして、主婦のような生活をしている。
 部屋のそうじをするとき、この前入ってきたばかりの、新入りのピアノのほこりをふき取ってやる。おれの居場所が、この部屋のなかに少しずつ増えてゆく。少しずつ、おれがこの家になじんでいくのが、とても、嬉しい。

 結局その日も、おれは一通りの家事を済ませた後、適当にピアノを弾くことで時間をつぶして過ごした。ケーキを作ることは、ちょっと考えてみたけれどやめた。中学二年生の頃、おれが作ったにんじんケーキを見て宍戸さんが「狂ってやがる・・・」とつぶやいていたことを思い出して、その表情があまりにも青ざめていたこともありありと思い出して、おかしくって笑った。
 今日は雨だったので買い物には行けなかった。家のなかに残っていた食材で夕食のカレーを作って、テーブルの見えやすい位置に「お鍋のなかに夕食あり」と書かれたメモを置き、そろそろまぶたが重くなってきてしまったおれは寝ることにした。時計を見やると、いつの間にか針は真夜中をさしている。なかなか今日もがんばって夜更かししていたことに、自分自身ほめてやりたかった。だけど宍戸さんは、おれよりもっと夜遅くまで仕事をしている。おれみたいに昼寝をとることもなしに、毎日毎日。それこそ、年中無休に。夜の肌寒さに、思わず身震いした。
 考えてみれば、おれはよく昼に放送する主婦向けドラマのような「冷めた夫婦の図」のなかにいるのだけれども、そんな宍戸さんの働く姿を想像していたら、ただただ尊敬の気持ちしかあふれてこなかった。不満とか、疑惑とか、そんな大それた感情はみじんも出てきやしない。出てきやしないけど――眠い。
 ヒーターの電源を落として、ベッドに倒れこむ。窓からもれる雨のやさしい音が、えらく眠気を誘う。今日こそは眠るまえに宍戸さんの顔を一目見たかったのだけれど、そのために知らず知らずのうちに無理をしすぎていたらしい。鉛のような眠気がおれにかぶさり、すぐに意識は深く深く雨音に引き込まれていく。
 ただいま、長太郎・・・もう寝てんのか? と玄関から宍戸さんの声を聞いたような、気がした。



 その日、おれは夢を見た。



 中学生の頃、彼と一緒に所属していたテニス部の部室でおれは着替えをしていた。
 なにがなつかしいって、ロッカーのプレートには、まだおれと宍戸さんの名前が貼ってあったのだ。その微妙にへたくそな文字が、離れてみたらものすごく愛おしかった。
 宍戸さんは着替えをとっくに済ましていて、てもちぶさたにベンチで足を揺らしている、という設定だった。実際、おれは当時着替えが遅くてよく宍戸さんを待たせていたことがあった。
 着替えの遅いおれのことを、根気よく待っていてくれる彼が、とてもなつかしくて、愛おしい。


「すいません、ずっと待たせちゃって」


 と、おれは言った。無機質な部室はがらんとしているので、声がよく響く。広く、とても広く感じた。


「まったくだ」


 と宍戸さんが足を揺らす。そんなにきっぱり言われると心苦しいのだけど・・・と、おれは思った。それがとても、彼らしい。


「帰りに、おれの家に寄っていきません? 昨日途中まで作ったケーキがあるんです」
「作りかけ? なんで作りかけなんだ」
「ケーキの生地を半日発酵させてるんです」
「発酵? ・・・ケーキを!?」


 がたりとベンチから立ち上がると、彼は眉をひそめておれを睨む。


「それ、本当にケーキなんだよな」
「はい、そうです」
「パン、とかじゃないのか? あるいは、そうやって生地を発酵させるタイプのケーキなのか?」
「よくわからなかったんですけど、たぶん生地は発酵させたほうが美味しいんじゃないかと思って」
「それ、そういう作り方が本に書いてあったんだな」
「いえ、独学です」
「殺す気か!」


 宍戸さんはおれのしめかけのネクタイを掴むと、ぐんと顔を近づけた。


「そんな恐ろしいケーキを俺に食わせるな」
「え、食べてくれないんですか?」
「当たり前だ」
「宍戸さんのケチ」
「どーいたしまして!」


 彼は乱暴におれのネクタイを放すと、吐き捨てるように言った。おれはよれてしまったネクタイを直そうと、ちまちまと指先を動かす。
 ガラスケースの中にいるような静けさだった。おれはちまちまネクタイをほどこうと苦心するが、変な形にきつく締まってしまったネクタイはいっこうにほどけてくれそうにない。


「遅い。ネクタイごときにそんなに時間かけてんじゃねぇぜ」
「だってこれ、宍戸さんが引っ張ったせいでほどけなくなって」
「だっせ」


 と彼は笑うと、乱暴におれのネクタイを引っ張った。そんなことをしたら余計にほどけにくくなってしまう、と思ったのだがしかし、ネクタイは彼の細い指にかかったとたん、すんなりとほどけてしまった。本当に、この人は器用な手先をしている。おれはびっくりして彼を見た。


「ほら、さっさと出るぞ。お前ン家に行くんだろう? もたもたしてっと時間なくなるぜ」


 おれはその言葉に更にびっくりして、あんまりに幸せで、たまらなく嬉しくなって、あふれてくる心がおさえきれなくて、なかば叫ぶように言った。


「宍戸さん、本当に、お誕生日おめでとうございます! 生まれてきてくれて、ありがとうございます!」
「・・・お前ってさ、どうしてそういつも、真顔でクサいこと言えんだよ」


 呆れるように笑うと、彼は少年らしく吹き出した。話の流れめちゃくちゃ、タイミングめちゃくちゃ、その上言うことがクサいんじゃ、笑うしかないな。とか、おれのことをこてんぱんにけなしているくせに、言葉の刺とは裏腹に表情はすごくやわらかいのだ。それを見ておれが顔をほころばせていたら、キショい、と笑顔で一蹴された。気にしない気にしない。


「そんじゃ、帰りにはケーキの代わりの菓子パンでも買おうぜ。先に外出て待ってるな」
「あ、待ってくださいよ」


 言い終わるやいなや、彼は冷たいドアの向こうへと消えてしまった。おれは慌てて後を追って暗い外へと・・・。



 目が覚めてしまった。
 おかしな夢だった。外でしとしとと降っている雨の音を聞きながら、おれはぼんやりと現実を把握している。冷えた空気にやっと頭が冴えてくると、自分のとなりに宍戸さんがいないことに気づいた。まだ家に帰ってきていないのだとは思えない。だけれどとなりに宍戸さんがいない。そう思うとなんだか心が冷え冷えとしてくる。彼はどこにいるのだろう。寒いと思いながら、おれは台所へ水を飲みに行くことにした。
 天を、星が動いていく音が聞こえない、しっとりと湿気をおびた孤独な夜中だった。まだ夢の感触が生々しい。スリッパを履いた素足が震えた。





「よー」


 と言う宍戸さんが、真っ暗な台所にいたので驚いた。


「そ、そんなとこにいたんですか」
「何だよその幽霊見るような目は」


 寝ぼけたおれは、バカみたいにびっくりした。寝巻き姿の彼は、疲れた様子でコップを置く。


「目が覚めてよ、腹がへって、パンでも食べようかと・・・思って・・・」


 寝ぼけた宍戸さんはぐしゃぐしゃそう言うと、大きくあくびをした。


「今トーストを焼きますから、座っててください、イスにでも」


 彼はこっくりうなずくと、


「おぉ、イスにでもな」


 と言ってふらふらとイスに腰掛けた。
 水に浮かぶこの小さな部屋の、ライトの下で戸棚を開ける。八枚切りのパンを焼いている途中、ふと、これにジャムをそえたら彼は喜ぶのじゃないかと思った。彼の希望がパンだとは、妙な偶然だ、とおもったおれはふざけて宍戸さんに背を向けたまま言った。


「夢のなかでもパンって言ってましたね」


 すると、反応がまったくない。寝ているのかなと思ったおれが振り向くと、宍戸さんはすごくびっくりした目できょとんとおれを見つめていた。


「・・・」
「・・・ま、まさか」


 変な沈黙がしんみり流れた。宍戸さんは、つぶやくように、


「おまえ、もしかして、ネクタイをほどくのに手間取ってたか」


 と言った。
 おれはすごくおかしくて、妙に納得して、笑った。


「さっきは、手伝ってくれてありがとうございました」
「・・・ネクタイくらい自分でしめてほしいもんだ」


 彼はまいったように頭をかくと、脱力して、笑った。夢の中のと、変わらないほほえみだった。それがあんまりに夢のなかのと同じなので、ひどくおかしくって、たまらなく安心して、愛おしかった。


「宍戸さん」
「ん」
「昨日はまともに言えなかったんですけど」


 ちん。トーストができあがる音が響く。気がつけば部屋の中は、こうばしい香りでふんわり暖まっていた。


「生まれてきてくれて、ありがとうございます」
「それ二回目」


 彼が苦笑して視線をほのめかす窓の外で、やさしい雨がふっていた。
 それは、昨日のつづきの霧雨だった。
 昨日と変わらないので、それがひどく愛おしかった。

 生まれてきた日を忘れても、
 昨日と変わらないので・・・幸せだった。


+++

解説(という名の言い訳)

だいたいの内容的には、
二人は長年つきあっていくうちに、宍戸さんの誕生日を祝うということは自然消滅(ていうか宍戸さんが一方的に抹殺)してしまったのだけど、決してそれはお昼の主婦向けドラマの「倦怠期の夫婦の図」なのではなくて、そんなことをいちいち祝わなくてもいいくらいに二人は今のまんまで幸せなんだー。365日変わらないってそれって素敵なことなんだー。
落ちつきという幸せー。
静かという幸せー。
変わらないという幸せー。
・・・みたいな内容に、したかったorz(願望)

いやはや、ちゃんとそういう風に伝わったかどうか不安で不安でしょうがないや。
解説とかいちいちしないとどうも落ち着かない。
だめだね。私ってだめだね。

なにはともあれ、
宍戸さん、お誕生日おめでとちゃんです!
大好きっ!いえい!

07,09,29:UP Ryou Sisido’s Birthday!


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