【おくぶたえ】注:チョタの二重人格ネタ小説
コタツは入っているとすぐ眠くなるからいけない。勉強するには一番適さない最悪の場所だということは、日本人ならば誰でも知っている一般常識だ。
だが、困ったことに『長太郎』はここで勉強するのが好きだった。
ここにみんなで足をつっこんでいると、なんだか本当に今がまさに冬だってかんじがするんです、だってほら、コタツは暖房やエアコンを使うよりずっとお互いが近いじゃないですか、寒くて寄り添いあって暖めあっているかんじが、おれは好きなんスよ。なんて、あいつは嬉しそうに言っていたくせに。
すぐにこうして『秀太郎』と代わっちまうんだ。
おや、と思うことは確かに多かった。
長太郎は普段は人一倍丁寧で優しくていいヤツだったけど、ふとしたきっかけに感情が激しくなったり、口調がやたら厳しくなったり、微妙にズレたことを言うことがあった。たとえばダブルスのペア練習をしていて、長太郎がサービスでダブルフォルトをしちまって、こっちの流れが微妙に悪いとき。俺が「焦る必要はねえ、取り返していこうぜ」と声をかけた後、不安げな顔していた長太郎の目つきがいきなし変わって、あいつらしくない目の色になったんだ。冷たい色だった。なにか生々しく、ギラッと光るものがそこに見えた。そして驚いたことに、短く、チッ、って舌打ちしてきたんだ。俺は驚いた。驚きすぎて、長太郎に渡そうと思ってたボールを取りこぼしたくらい。
ポテン、とボールが落ちる音とともに、長太郎はすぐにその不穏な目の色を奥に引っ込めて、またいつものように穏やかであたたかい目の色に戻ってたっけ。
たしかに、そういうことは少なくなかった。しかもそういうことは、俺の前でしか滅多におこらないことらしかった。もしかして原因は俺にあって、俺は嫌われているのか、と思ったことはある。だけど、それらがまさか長太郎の人格が分裂しているからだとは思わなかった。
長太郎の人格は主に二人いた。丁寧で優しいが、甘ったれで抜けたところがある『長太郎』と、言うことがいちいち厳しくて感情の起伏の激しい、だが間違ったことは決して言わない『秀太郎』の二人だ。いつも表に出ているのは『長太郎』のほうで、俺がドキリとする時に表に出ているのがどうやら『秀太郎』のほうらしい。
そして今、俺の目の前でコタツに足を入れてもくもくとペンを走らせているのは『秀太郎』のほうだ。
いつくらいからだろう、『秀太郎』が出てくることが多くなったのは。最近では会うたびに表に出てくるのは『秀太郎』で、『長太郎』とは滅多に顔をあわせなくなっている。
他のヤツから話を聞くぶんにはそうでもないらしい。普段は『長太郎』が表に出ていることのほうがほとんどで、『秀太郎』は滅多に出てこない。それが人から聞くいつもの長太郎。
『秀太郎』が出てくるのはどうやら俺の前だけらしい。それがどうも、俺としては嫌な気がした。
「宍戸さん、ペンが止まってますよ」
ふいに長太郎が顔をあげて言った。賢く鋭利に光るこの眼光は、間違いなく『秀太郎』のものだった。
「うわ、本当だ。だんだん眠くなっちまってな」
「しっかりして下さい、留年しますよ」
こういう、人をドキリとさせる一言を冷たくサラリと言えるのは、『秀太郎』に違いなかった。
「そんな簡単にお前と同学年になるつもりはねえよ」
言いながらも、俺は内心で力いっぱい否定できていない自分がいることに苦味を感じていた。
俺は言った。
「あのよ『秀太郎』」
「はい」
「お前、たしか『長太郎』に話しかけることができんだよな」
「まあ、出来ないことはないですけど」
言いながら『秀太郎』は少し嫌そうな顔をした。
「だったら少し聞いてみてくんねえか、最近どうして俺の前に出てこねえのかって」
『秀太郎』は小声で「面倒くせっ」と毒づくと、ペンを止めてゆっくりため息をついた。
「そんなこと、聞かなくてもわかる」
へえ、と何でもないように装いながらも俺は内心穏やかではなかった。『長太郎』が俺のことを嫌っている、ということはそこまで明らかなものなのか、と思ったからだ。
『秀太郎』は長いまつげをふせて、冷静に告げた。
「あんたになついてんだよ、こいつは」
俺はペンを止めた。意味がわからなかった。
「だから表に出てこれねえ」
+++
おれは、おれのことを長太郎と呼ぶ。みんながそう呼ぶからね。
長太郎と同い年で、長太郎にいつも厳しくあたる秀太郎。厳しすぎると思うことはあるけど、どんな時にも間違ったことは言わない。縮こまるな、とか、立ち止まるな、とか。
外には宍戸先輩がいた。宍戸先輩は秀太郎なんかよりうんと厳しくて、口が悪くて、冷たい、って印象の人だった。よく長太郎を怒鳴りつけていて、そのたびに長太郎はビクッてなった。
だけど、それは全部長太郎のためで、長太郎によかれと思うから厳しくしてるんだった。嫌っていたらこんなことできない。嫌いなら無関心にしているはずだから。
宍戸先輩のとなりにいるのは、うんと心地がよかった。宍戸先輩の態度はいつも厳しくて、そういうところはつねに変わらないけど、宍戸先輩のいいところというものはいつもにじみ出るように先輩のまわりに漂っていて、先輩の半径一メートルの中にいるといつも落ち着いた。きっと、先輩のいい人な成分が空気に溶け出しているからだ。近くでうんと鼻をきかせないと気付かない、とってもいい香りみたいな雰囲気。
いつからか、長太郎は宍戸先輩の前に出るとおどおどしてしまうようになった。宍戸先輩を目の前にすると、頭が真っ赤になって、直後には真っ白になって、クラッシュをおこして正しく思考ができなくなる。熱もないのに顔が熱くて、風邪でもないのに息が苦しくなってしまう。
秀太郎が表にいるときは、二人の話を聞いて、それがおもしろくてくすくす笑ったりするだけでいいが、いざ長太郎が表に出ると肉体が一緒に笑うのがこわくて、縮こまってしまう。
宍戸先輩と楽しくおしゃべりをしていて、気持ちがふわっとして解放されそうになると、長太郎の中のなにかが「身を縮めろ!」と命令する。べつに何にもこわいものがまわりにあるわけじゃないのに、そういう命令がやってくる。
長太郎は宍戸さんが好き。大好き。あまり大好きで大好きすぎると遠い感じがするから、宍戸さんではない、先輩と呼ぶんだ。遠いままだったら、いつまでもいなくならない気がするから。近寄らなければ、離れないって思ってるから。宍戸先輩は、いつも長太郎のそばにいてくれる。そしてどんなときにも長太郎の味方であろうとする。
だから長太郎も秀太郎の半分くらいでもいいから、堂々として賢いことが言えたらいいのにと思う。いつも、痛いくらいに思う。そうしたら味方であることを返してあげられる。
でも長太郎はこころと身体がばらばらで、すごく言いたいことがどうしてもうまく言葉にならなかったり、すごく嬉しいのに顔がこわばっていたり、悲しいのに笑ったりしてしまう。
調律してないピアノみたい。
「おい『秀太郎』、お前も寝てんじゃねえ!」
上のほうで宍戸先輩が言った。
だが長太郎はすぐにそれは違うと知った。おれはドキリとした。宍戸先輩の声がしたのはうんと近くだった。
+++
あれからしばらく時間がたって、外はすっかり星空になった。気付けば『秀太郎』は俺の知らぬ間に眠っていた(まあ、俺も半分寝ていたようなもんだけど)。
俺は少し笑いながら「おい『秀太郎』、お前も寝てんじゃねえ!」と大声で言ってやった。
思った通り、『秀太郎』は背中をギクッとさせ、慌てて顔をあげた。
だが目があった時、その中に不安げにひそむ穏やかな表情を見て、あっ違う、これは『秀太郎』ではない、『長太郎』が出てきている、と知った。
「先輩、先輩、お久しぶりです」
『長太郎』ははっとした顔になると、力いっぱいそう言ってきた。なんだか変な気もするが、たしかに『長太郎』と会うのは久しぶりと言えば久しぶりだった。
「よお、最近顔出さねえけど元気してたか」
『長太郎』はうん、うん、と何度も確かめるようにうなずく。目には『秀太郎』のたたえる鋭い知性の光は消え、代わりに柔らかい光が宿っていた。
「あれ、なんでおれ、いきなり出てきちゃったんだろう。さっきまでたしかに秀太郎が出ていたのに」
「なんだ、『長太郎』は出てくるつもりはなかったのかよ」
「あ、まあ」
長太郎はペン先で黒い丸をぐりぐり書くと、不安げに目をそらした。
どれだけ俺のことが嫌いなんだよ。
その時、『長太郎』の書いた黒丸の近く、ノートのはじのほうに変なメモが書き残されているのに気付いた。
しかも文字の向きが長太郎に向いているのではなく、俺のほうを向いているので妙に気になった。
《眠ったらあいつと代わるから、その時に直接聞いてやってください》
どうやらそれは『秀太郎』からのメッセージだった。だがその下は『長太郎』の腕に隠れて読めない。
「ちょっと腕いいか『長太郎』」
「え? な、何ですか」
『長太郎』の腕を持ち上げて、続きを読む。
《長太郎がどうして宍戸さんのこと『先輩』って呼ぶのか、あとなんで最近顔出さないのか
注:待ってくれって言われたって待たないほうがいいよ、こいつのことだからな》
+++
先輩はおれの腕をノートからどけると、その下にあった文字を読んだ。筆跡からして、たぶん秀太郎のものだろう。なんだろう、と思っておれもノートを回して読んでみた。内容を読んで、ヒヤッと背中が冷たくなった。
「『長太郎』」
ふいに先輩から呼ばれ、おれは驚きのあまり少し跳び上がった。
どんなに落ち着こうとおさえても「な、なんでしょうか」と声の震えは止まらなかった。
宍戸さんは悪いことを聞くようにおれを見つめて言った。
「嫌なら別に言わなくてもいいんだけどよ、最近なんで俺のこと避けてるのか、理由だけでも聞かせてくんねえかな」
来た、来てしまったとおれは身構えた。おれは頭に血がのぼって赤くなるのを感じて、とっさに顔を伏せてしまった。
「べつに、先輩のこと避けてなんかいませんよ! 理由なんて、そんな、ありません」
恐る恐る先輩の顔色を見ると、先輩は悲痛な顔をしていた。「俺は理由はないけど嫌われているのか」と言いたげな目の色だった。「先輩を嫌う理由なんてない」というふうにはとってもらえなかったらしい。
おれはどうしたものかとしどろもどろになった。何かを言わなければ、と痛いほど願った。だけど強く思えば思うほど、喉からは意味のない音のかたまりしか出てこない。
そんなおれをよそに、先輩はつづける。
「『長太郎』、もし俺と会うのがそんなに嫌なら、別に無理しなくてもいいからな」宍戸先輩は自虐的に笑った。「俺と会うのがそんなに嫌だから、『秀太郎』と代わるんだろう? 俺といるのがそんなに辛いなら、我慢する必要はねえ、そう言えよ」
おれはうつむきながら、違う、違うとつぶやいた。だけどそれは音として言葉として外には出てくれない。ただ唇がぱくぱくとむなしく動くだけだった。
伝えたいことはたくさんあるのに、全然言葉になってくれない。こんな自分がきらいで、もう嫌になりそうだ。形のないぶよぶよとした感情はおれのなかで溜まりに溜まって、いまにも破裂しそうに震えている。でも出てこない、口は開いているのに何も出せない。息が詰まって止まりそうで、苦しくて、涙が出そう。
ただ、おれは苦しいまぎれに一言だけ「……待ってください……」とだけ、こぼした。目の前にいる先輩にも、聞こえたかどうかわからないほど、か細くて頼りない言葉だった。
ああ、きっと待ってはくれない。わかってはいた。秀太郎のあのメモがなくたって、せっかちな先輩は「ふざけんな、さっさと吐いちまえ!」と怒鳴るだろうことは火を見るより明らかなことだ。
先輩が、ふう、と少し長いため息をつくのが聞こえた。そして、今のおれにとっては信じられない言葉を口にした。
「いいぜ」
見上げると、先輩は少しホッとした顔をしていた。
「いやな、それなら今すぐダブルス解散しましょう、ってお前が喜々として言ったらどうしようかって思って内心あせってたからよ、ちょっと安心した。そんなら待つ待つ、いくらでも待ってやる。まあ、解消したくなったんならいつでも言っていいかんな」
そう言って先輩は脱力したように笑った。
その時、おれの喉につっかかっていたたがのようなものがゴトリと落ちた。
「しませんよ! 頼まれたってダブルス解消するもんですか!!」
先輩は驚きの目でおれを見た。だけど先輩よりも自分自身がうんと驚いた。あまりに大きな声が出たものだから、心臓がひっくり返りそうだった。
「先輩とテニスしているのはすごく楽しいです。たしかにテニスをしているのは最近では秀太郎のほうですけど、ですけど、それを聞いているだけでおれは楽しいんです」なんだこれは、すごい、まるで別人みたいに唇が動いてくれる。「先輩のこと嫌ってなんかいません、誓って嫌ってはいませんから!」
すべてを言い終えて、おれは少し荒く息をついた。内側がすべてからっぽになったみたいでうんと気分がよかった。
だけど、最後にまだ言い残している言葉があった。それを見つけて、おれははっと顔が紅潮した。
「言いたいことはそれで全部か?」
先輩は笑っておれを見つめた。そこには、滅多に人には見せない、温かく優しげな光がともっていた。
それを見てしまったとたん、おれの中で、ふわっと何かが解放されそうになった。自由の匂いをかぎとって、そこへ向かおうとする明るい気持ち。だが、それと同時にまたあれがきた。『駄目だ、縮こまれ!』と、恐ろしい声がすべてを揺すぶってくる。明るい部分はたちまち『ひぃっ』と小さな悲鳴をあげて、四肢を縮こめて沈んでしまう。
おれは顔面蒼白になって、座っているのにめまいを感じた。
またずるずるとあの深い眠りに落ちてしまう直前に、おれはかすかにつぶやいた。
「あとひとつだけ」
あと本当に、ひとつだけなんだ。おれはいつの間にか、頬が濡れているのを感じた。
宍戸先輩には聞こえたのだろうか。おれの最後の一言が、聞こえてくれたのだろうか。
それはどうだかわからないけれど、秀太郎と交代してしまう最後に見えた宍戸先輩は笑っていた。
そしてその唇が、やさしい言葉をつむいでくれたような気がする。
《待ってるから、また来いよ》
宍戸先輩のとなりにいるのは、うんと楽しくて、たぶん唯一長太郎がしあわせだと感じられる時間なんだろう。そこがあまりにしあわせなものだから、長太郎は長いこと先輩のとなりにいることができない。
そういう心配ひとつしないでもいいところへ、行くことを恐れてしまう哀しい性を、否定するでもなく、かといって悲観してあきらめるのでもなく、大切にしすぎて手垢をつけてしまうのでもなく、ただ「そういうコタツがおれには残されているんだ」とこうして思っているくらいがきっといいんだ。
身を寄せあいお互いを暖かめあう場所が、まだおれに残されている、それは今の長太郎にとってどれほどの救いになるか知れない。
そういうことが大切なんだと思う。
先輩は待ってくれる。
焦る必要はない。
これでいいんだ。
長太郎は深い眠りに落ちながらそう思った。
おしまい。
08.02.14:HAPPY BIRTHDAY!!
だがネタ的には全然おめでたくない件について。