奇妙なとかげ

おれはとかげを探していた。そいつの特徴は覚えている。忘れられるものか。彼女は黒く丸い瞳をしていて、背が小さくてとてもか細い。その細さといったら、なかなか見間違えられるものじゃなかった。覚えている。黒い長袖とGパン。その丸い瞳の、ハ虫類独特の冷たい光を。覚えている。忘れられるものか。どうして忘れることができようか。

そいつは、おれの大切な人を奪ったやつだった。ある日突然おれの目の前に現れて、目の色をまったく変えないでおれの大切な人を拳銃で撃ったのだ。煙ののぼる銃をだらりと下げて、冷たくおれの大切な人を見つめながら彼女は赤い唇をちろちろと湿らせていたのが、とても印象的で恐ろしかった。おれはもちろん彼女を追いかけようとしたが、走り出すやいなや、彼女はすばやくおれの太ももを撃ち抜いて、そこでおれは地面に倒れ、情けなくも意識をぷっつり失った。だから、おれはとかげを探している。見つけて、それでどうするかは問題ではない。大切なことはおれがとかげを見つけることにある。その他は、どうでもいい。とにかくおれはとかげを見つけなければいけなかった。

街中に聞き込みをした末、喫茶店のマスターから有力な情報が得られた。どうやらとかげは木曜日に、欠かさずここに来るらしい。そして今日がその木曜日だった。
おれは店の一番奥の席で、彼女が来るのを待つことにした。とかげがここに来る。彼女を見つけることができる。その予感に、思わずコーヒーカップを握る手が震えた。
「そこ、どいてもらえないかしら」
はっと顔を上げると、自分の目の前にとかげが座っていた。病的に細い手首をだらりとテーブルの上になげやって、リラックスした様子のとかげはおれを見つめていた。彼女は続ける。
「あたし、そこの席に座るのが習慣なの。そこの、店の一番奥で、ドアからの風が来ないしめった席だから。そこは昔からあたしの特等席よ」
「とかげ! やっと見つけた!」
叫ぶと同時に、思いっきり太股を蹴られた。強烈な痛みにうずくまりそうになったが、平静をよそおってこらえる。
「そういう無駄な言葉は嫌いよ。どくか、どかないで撃たれるか、どちらかを選びなさい。迅速に」
おれは銃口を向けられて、仕方なく両手を上げて席を立った。
とかげが座っていたところにおれが座り、おれが座っていたところにとかげが座って、やっととかげは表情をゆるめて赤い唇に微笑をたたえた。
「あたしに何か用があるのね。わかっているわ。ついてきなさい。案内するわ」
座って一瞬もたたないうちに、また席を立つと、とかげは足早に喫茶店を出ていった。あわただしい人だ。おれはマスターにコーヒー代を払って彼女の後を追って町へと出ていった。そのとき行き違いで店に入った男の人と太股がぶつかって、一瞬くらっとなった。
子供のらくがきのように、目に痛い原色で無秩序に描かれた人ごみのなかでもとかげの背中を見失うことはなかった。線のように細い彼女のシルエットは、どんな喧騒のなかにシャッフルされてもよく目立っておれを導きつづけた。途中電信柱に太股をぶつけることもあった。やがて、町が終わってそこは工場の跡地のようなところに出た。風が止まりほどよく湿気をおびたその土地は、いかにも彼女が好きそうな場所だった。
くずれかけたドアをくぐって、元・工場のなかに入る。すると、そこは意外にもきれいに整頓されているところだった。おれは使われなくなった器材が分厚いほこりにくるまってうち捨てられているところを想像していたが、中は何もものらしいものはなく、ほこりもなく、窓ガラスはきれいに磨かれていた。その内装のあまりの白さにおどろいていると、とかげに奥へ来いとせかされた。工場の奥には、元・事務所があったのであろうドアがある。
しかもそのドアは、玄関のドアと同じつくりをしているはずなのに、まったくの別もののように新品だった。ドアノブには指紋ひとつないし、かけられた陶器のプレートはついさっき磨かれたかのように輝いていた。
おれがドアに見ほれて開けることを躊躇していると、とかげは冷たい顔で太股を叩いてきた。涙がにじみそうになるのをこらえて、おれはせかすなよ、ととかげを見た。
元・事務所のなかは、窓がぴっちり閉め切られているせいかどこよりも湿気が強く、白い土の匂いがむせかえるほどたちこめていた。
そこにも器材や家具らしいものはなく、ただ、白い床には青い布団のようなものが敷かれていた。だが、それはよく見たら布団ではなかった。下にある何かが、ビニールシートを押し上げているのだ。とかげにせかされて、おれはそのビニールシートをわずかにめくる。そこで、心臓が止まるかと思った。
「あ」
絶望のあまり、思わず声がもれる。そこには、おれがとかげを追いつづける理由が横たわっていた。死してなお美しい横顔。半分開いて固まったまぶた。長いまつげをふせた彼は、とある芸術品のように動かざる存在になっていた。
とかげがおれの目の前で撃った人。おれのこの世界で一番大切な人。死にもの狂いで広い世界のなか求めていた存在。白く人形のようにかたくなった、宍戸さん。
まるで、あの場所からそのままそっくり切り取ってこの空間に貼り付けたように、彼の時間のなにもかもが止まっている。彼のひたいからは、血が一筋流れていた。まだ赤い。そっと手で触れてみる。ぬるりとしていて、まだ暖かい。
そのとき、彼の時間が動きだした。たぶん、おれが不用意に触れてしまったせいだろう。とろりと傷口から血がこぼれはじめ、白い床を染めてゆく。同時に、おれの目に見えないなにかも時間を進めはじめていることにも、おれは気づいた。それはたとえば、牛が牛肉に移行するように、それはたとえば、事故で亡くなった人が臓器提供者へと移行するように、人がものへと移行してゆく流れだった。おれはさっと青ざめる。止まって。時間よ止まって。おれを置いてこの人を連れていかないで。おれを置いていかないで。一人にしないで。行かないで。戻ってきて。宍戸さん、お願いだからここへ戻ってきて。
ひたり、おれの首筋に手が触れた。氷のようにしっとりと冷たい、とかげの手だった。
「ひ」
おれはかすかに悲鳴をあげる。邪魔をしないでほしかった。今は、他のことなんて気にかけないでただ宍戸さんに呼びかけていたかった。だが、とかげはそれを許さない。おれの服の下に手をすべりこませて、おれの背中に強く顔を押しつけてくる。あまりにきつく抱きしめてくるものだから息が苦しくて恐くなる。
「どうしてもこうしないと落ち着かないんだ。目に見えるだけじゃ信用ならなくて、もっと、感触とか匂いとか、五感で存在を感じていないと不安になるんだ」
「そんなこと知らない。放して」
おれは抵抗するが、そんな微々たる力ははむなしく、針金のようにきつく食い込んだとかげの腕はいっこうにふりほどけない。動けば、関節に腕が食い込んで、痛くて恐くてとてもじゃないけど乱暴に動けやしない。とかげは、探るようにおれの背中や腕や、体中のいたるところを順番こに顔を押しつけて、そのたびにおれは息苦しくて助けを呼ぶように悲鳴をあげた。だが、突然、背中で「ずるり」となにかがずれる感触があった。
何? おれはこわごわ肩越しにとかげを見る。すると、とかげの顔が顔の正面から少しずれているという恐ろしい光景がまざまざと見えた。いや、それはおそらく脱皮だった。見ていて嫌な気分になるので、おれはとかげの顔から脱皮のぬけがらをていねいにはがした。
そこで、はっと息をのんだ。
「どうした、長太郎」
皮の下には、宍戸さんの顔があった。そんな、まさかと思ったが、おれが彼の顔を見間違えるわけがない。それは、寸分違わず宍戸さんの顔だった。おれは今まで手をつないでいた宍戸さんを見る。だが、そこには薄いビニールシートが平たく横たわっているだけ。彼のぬくもりも、血の赤さえも、なにもない。おれは混乱する。吐き気さえこみ上げてくる。彼がさっきまでここにいたという証拠がなにもないのだ。
「とかげ! 宍戸さんをどこにやったんだ!」
「何言ってんだよ、ここにいるじゃねえか」
女性特有の甲高い声だったとかげの声が、徐々に変化して、ついには宍戸さんと同じ周波数になる。だが、おれの体にまわされた針金のように冷たい腕は変わらずおれを束縛したままだった。宍戸さんの、あのしなやかな腕や、低い体温や、やわらかい匂いとか、おれを安心させてくれるものはなに一つなかった。ただ、顔と声だけが奇妙に宍戸さんのものと一致していた。
「なんだよ、この細い腕は嫌いか。それに冷たすぎんのも変ってか。匂いって、お前変態かよ。まったく要求の多いやつだな」
にい、と宍戸さんそっくりに笑うと、とかげはそう言った。
おれの、考えが読まれた? そんな気持ち悪いことがあるわけがない、あってたまるかとおれは思う。
「気持ち悪いったあ心外だな。まったく、長太郎は」
宍戸さんの声で言うな。宍戸さんの顔で言うな。宍戸さんの表情や、しぐさや、笑い方をするな。おれがそう思ったとき、体に巻きつけられた腕に変化がおこった。だんだんと膨らんで、針金の腕は太く人間らしい形になってゆき、熱をおびはじめて、かすかに漂う匂いや、雰囲気、気配までも、なにもが宍戸さんに近づいてゆく。おれは恐怖のあまり悲鳴すらあがらない。
「長太郎」
宍戸さんの声が、耳元で熱っぽくささやく。彼の目とおれの目がかちあう。彼はおれを見て赤い唇を、ちろりとなめた。それは、まるでエモノを品定めしているハ虫類。
「長太郎起きろ! いつまで寝てやがるんだ!」

おれははっと顔をあげる。夢から覚めて、そこは部室だった。寝汗をびっしょりかいていて、激しい運動の後のようにぐったりしていた。
「大丈夫かよ長太郎、だいぶうなされていたようだけど」
「宍戸、さん?」
おれはおそるおそる彼を見る。よかった。宍戸さんだ。本物の、とかげじゃないほうの宍戸さんだ。
「違う、違うってだいぶうなされていたけど、大丈夫か」
「恐ろしい夢をみていたんです。ああ、本当に恐かった」
おれは安堵して、彼にとびついた。きつく抱きしめて、彼の髪に顔をうずめて匂いをいっぱい吸い込む。
「ああ、よかった、あれが夢で本当によかった。恐かった。恐かったんですよ宍戸さん。本当にこっちが現実でよかった。あんなにリアルな夢はもうごめんです。よかった、こっちは本物の宍戸さんだ。恐かったですよ宍戸さ」
「いきなり飛びついてくんじゃねえこのアホが!」
不機嫌な目をした宍戸さんはそこで太股をがつんと蹴ってきた。