エピローグ【ニセモノに天国はない】
結局、俺は最期の最期まで、変なところで鈍いやつのまんまだったんだな。俺は闇の中独り、自虐的に笑う。その点、あいつは大丈夫だと思う。もう変なはやがってんをおこして大切な何かを失うなんてことは、ないだろう。
これで、やっと本当に俺の役目が終わったんだ。
胸に手をあてる。心臓の鼓動が聞こえる。そして、その音がだんだん弱くなっていくのもまた、聞こえている。
その時が近づいていた。
やっと、その時が来てくれたのだ。
呼吸がだんだん細くなる。思考が痺れて麻痺してくる。生物の温かみが、失われはじめてきた。死因はまったくわからない。だが、俺は自分の存在が希薄になっていくのを、俺なりにしっかり感じていた。未来が変わったのだ。だから俺は死ぬ。もうすぐ俺は、死んでしまう。
いや。
そうではない。そうではないと俺は理解する。『宍戸亮』は死んではいない。不要な未来が、無に還っていくだけなのだ。ただ不要になった未来が消えるだけ。古い『未来』が新しい『未来』へと上書き保存されるだけ。だから、俺が『死ぬ』というのはおかしな言い方だ。
……来世でも、もう会えないんだな。
そもそも俺に、来世などという希望はない。
無に還ってしまう俺は永遠に、長太郎に謝ることもできない。
長太郎には二度と会えない。長太郎に会うことは、永遠に叶わないんだ……。
残酷な確信が俺を貫く。
俺はそうして泣いている。いよいよ体は自力で体重を支えきれなくなり、俺は力なく桜の木に寄りかかり、ずるずると体を根本にあずけ、泣いている。
冷たくなっていく体。無に還っていく自分。明滅する。目眩がする。息が苦しい。これが現実か。理解はしていた。頭ではわかっていた。だが、こんな残酷な結末が、俺の現実なのか。過去を変えることはできないが、未来を変えることはできる。
それは過去の俺にとっての『希望』であり、未来の俺にとっての『絶望』だった。
俺にとっては、あらがうことのできない、『絶望』なのだ。
寒気がする。嗚咽がこみあげる。記憶が蘇る。過去が俺を蹂躙する。会いたかった。最期にあいつに会いたかった。そして謝りたかった。一言あいつに謝りたかった。だがそれは叶わない。もうそれは叶わない。長太郎はもう笑わない。長太郎はもう俺に笑いかけない。理解してしまった。理解して、受け入れてしまった。過去を変えることは、決してできない。失ったものは・・・二度と戻らない。
「宍戸さん」
甘えるような、可笑しくてたまらないというような、呑気な声が響いた。
俺はガバリと顔を上げる。
「……」
見あげた先には、呼吸困難になりそうなほどの桜吹雪。
桜が、咲いていた。桜が舞っていた。因果を歪める桜の花が、満開に咲き誇っていた。ならば……きっと因果が歪んだのだろう。どこかで因果が、歪んだのだろう。桜の満開は、因果が歪んだ証拠。気まぐれな桜が、因果を歪めた証拠。さっきまでの葉桜がまるで嘘のように、桜吹雪が舞い上がる。息が詰まるほどの桜吹雪、そして、浮き上がる薄い闇。
「宍戸さん」
瞬間、桜吹雪が晴れた。視線の先には――――セーラー服の少女が立っていた。そして、愉快そうに笑っていた。
「えへへ」
紛らわしい真似をしないでくれ。一瞬でも期待してしまった自分が馬鹿みたいじゃないか。俺はてっきりあいつに会えると思っていたのに、期待を裏切るようなことをしないでくれ。そんなに俺が滑稽か。なぜ笑う。何がそんなに楽しいというんだ。なにがそんなに可笑しいというのだ。どうして俺を見て笑うんだ。何がそんなに愉快なんだ!
「……宍戸さん、まだわからないかなぁ」
……。
「――――」
俺は一瞬、呼吸を忘れた。
ま……。
さ……。
か…………。
「俺ですよ、宍戸さん」
少女の重たく長い黒髪が、風にざわざわと揺らめく。月がちかちかと煌めく。桜の花びらが舞っている。なんだこれは。なんだこれは。思考はとっくに止まっている。視界もおぼろげで頼りない。だが、理解が押し寄せてくる。理屈ではない。本能ですらない。おそらく俺の魂が、理解していたのだ。
「……ちょう、たろう……」
俺の細く頼りない言葉に、長太郎は深くうなずく。
言葉が出なかった。胸がいっぱいで、何も言えなかった。彼に会ったら、まずは謝ろうと思っていたのに、実際に会ってしまったら、言葉なんて記号はまったくいらなくなってしまった。
それでも長太郎は、俺が言わんとしていたことを理解したらしい。薄闇をきらきらと反射する薄色の瞳で、俺を真っ直ぐ射抜く。
「宍戸さん、謝ろうとしないでください。俺は宍戸さんに会えて幸せだったのだから、謝るなんて間違いです。そんなこと、しないでください。俺は宍戸さんがいるだけで――幸せなのですから」
彼は俺が一番欲しかった言葉を、やさしく囁いてくれるのだ。
長太郎、お前は死んでも・・・変わらないんだな。
片方は不要になった未来で、片方は創りだされた幻想で。『セカイ』は彼らをニセモノと認識していた。『セカイ』は彼らから天国を剥奪していた。安息の地は与えられず、二人はただ無に還るのみの存在だった。
それでも二人に、たはむれな奇跡はおこったのだ。
長太郎は、ほとんど消えかかった俺を包みこむように抱擁する。やさしく微笑むと、何かを確かめるように、長く、深い口付けをしてきた。桜が視界を染めている。俺は長太郎に溺れている。まどろむようなやさしさが、俺をやんわり包みこむ。
長太郎は希薄になっていく俺を見つめて幸せそうに・・・呑気にへらへら笑っていた。
――ニセモノの天国は、
――ここにあった。
【HAPPY END】
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ここまで読んでいただいて、どうもありがとうございました。
今までお付き合いくださいまして、本当に心からありがとうございました。
07,08,10:沸レ拝
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