ッ青な空、見慣れた住宅街、垣根の向こうがわから届く蝉のなきごえ。

夏がやってきた。

早朝、雲に邪魔をされることもなく太陽がのぞく。今日も暑くなりそうだ。

照り返すコンクリートを自転車が駆け抜けていった。制服姿の少年の、ふたり乗りだ。



潮風が、宍戸の青い帽子を攫っていく。



かれの腕は魔法でできている



驚いたことに、鳳は毎朝チャリ通学(自転車通学)をしている。

良いところの坊っちゃんが何やってんだ、と思わないでもなかったが、だからといって悪印象も覚えない。むしろ好印象だ。

聞くところによれば、かれは普段の通学は車で送り迎えをされているが、朝練がある朝だけは自転車通学を心掛けている

らしい。

「トレーニングにもなりますしね、それに朝は風がきもちいいです。」

自転車を漕ぎながら鳳が言う。真後ろに跨っていた宍戸は、ぼんぼんが自転車なんてだせぇよ、と笑った。

休日返上をして、二人でテニスをしようと鳳に誘われた。

心がはやる。中等部三年生のあの頃、認められなかったこころを認められるぐらいには宍戸も成長していた。

過剰なほど意地っ張りな性格(あるいは性質)が改善されたわけでもないものの。

氷帝学園高等部に内部進学を果たした宍戸の、髪の長さは去年の夏と変わらない。

変わったことと言えば、髪を固めなくなったことと制服の胸ポケットの校章くらいである。

前で自転車を漕ぐ後輩との関係も変わらない。長太郎に、好きだと言われたあの夏から変わらない。

景色が流れていく。

その中から走馬灯のように去年の夏、初めて手を繋いだ日、初めてキスをした日、初めて―――………

「…もう少し早めに出りゃ良かったか、コート空いてっかな。」
「勘弁してくださいよ。これ以上早起きしたら俺、宍戸さん振り落としちゃいそうです。」
「だらしねえなぁ…」

走馬灯に身悶えそうになった宍戸は、努めて呆れた声をかけてプラチナブロンドと目を合わせた。

鳳がハンドルを切り、海の見える通りに滑り降りていく。

潮風が鼻を掠めて、宍戸は笑みを深めた。ざわざわと斜面に面した木々が凪ぐ。

コンクリートを焼く太陽の熱が、夏をかんじさせて気持ちが良い。ひなたの匂いがする。汗ばんだ匂いがする。

誘われるようにプラチナブロンドに顎を乗せた。鳳の身体が強張るのを肌で感じたが、高揚した宍戸は気にすることができない。

鳳は感情表現がうまい。過剰なほどのオーバーリアクションは、恋愛感情をあらわす術を多くもつ彼ならではだ。

宍戸はそんな彼の一挙一動をことばで馬鹿にしながらも、心底安心させていた。いとしいと思わせた。

こころが身体から離れて鳳を想う。ぼんやりしていた宍戸の指先は力を失い、ずる、と身体が前に倒れた。

ぼふん。

「わぁ!!!」

途端、視界が揺らぐ。

「う、わ…!」

傾きかけた自転車は、間一髪コンクリートについた足が防ぎ、転びはしなかったが身体はまだ宙に浮いているような感覚が

抜けない。

鳳の首根っこにしがみついて、妄想に耽っていた思考が身体に戻ってくる。感覚が蘇える。早鐘を打つ。

かれの反射神経に感謝しようにも、ハンドルを切り間違えたのも鳳だ。

「ちょ、宍戸さん………」

シャツ越しに心音が聞こえているかも知れない、と気付き身体を離したところで鳳と目が合った。

りんごも恥じらうような真っ赤な顔。

思わずこちらの頬まで熱く感じ、触れていた背中を大仰に叩く。ばかやろう、俺まで恥ずかしくなるじゃねえか。

「危ねぇだろ、ちゃんと前見てろよ。」

肩に手を置き直す。悪態は簡単に吐けるのに、本音はどうしても舌を避けてしまう。

気恥ずかしさがじわじわと指先から肩に咽喉に伝わり、からからに渇いている。生唾を飲み込んだ。

「は、はい、あの、宍戸さん………」
「なに。」
「………、いえ、しっかり掴まっていてくださいね。」

鳳は前を向き、姿勢を立て直してふたたび車輪が回び、景色が通り過ぎていく。

顔が見えない。下り坂をブレーキもかけずに駆けていく二人乗りの自転車は、速い。

無性にあの顔を見たくなって、しかし面と向かって言えずに、宍戸はおずおずとまた手を伸ばす。

今度は驚かせる意図もなくゆっくりと。

首に腕を絡めると、触れた身体から緊張し強張った皮膚を感じられ、宍戸を安心させた。

鳳の汗のにおいがする。首筋に頬を寄せて、目を伏せた。





そして、かれの魔法がかった腕を唐突に知ることになる。

定期的な揺れに眠気を感じ始めたところで、鳳から声がかかった。

「しっかり掴まっていてください、近道しますよ。」

「ん………?あ、あぁ、」

正直ねむい。

三大欲求を素直に伝えるようにできている宍戸の舌は、やはり素直に縺れた。

そんな宍戸に構わず、もしくは構う余裕がなく、鳳がハンドルを切る。

さらに続くコンクリートの坂道ではなく、斜面に面した獣道に向けて。

切り立った雑草の道はコンクリートの車道を突っ切っていた。とても自転車が走れる道ではない。

がくん、と身体が落ちる。錯覚。

「おぁ?!」

がたがたがた、と獣道の大小さまざまな石に車輪が触れ、眠気を吹き飛ばすほどに自転車が揺れる。

鳳は慣れた手付きでその獣道のなかハンドルを切り、坂道―――と言うに憚られるほどの斜面に、車輪を投げ出した。

身体が宙に浮き、土に触れる。雑草でできた道はよくよく見れば、車輪の跡が幾重にもあった。

かれの通学路なのだろうと普段の宍戸であれば知れたろうが、いまの宍戸にそんな余裕はない。

浮いてる!今浮いたって!と騒いだら、ちょっと黙っていてください、とぴしゃりと早口で宥められた。

宍戸は口唇を噤む。

必死に鳳の首根っこにしがみつき、見開いた目は楽しげに揺れるプラチナブロンドを映す。

対する鳳の顔もいたく楽しげであったが、宍戸からは見えない。

斜面を抜けた自転車の車輪がまた、コンクリートに落ちる。その際にぼんと身体が跳ねた。

「ッぎゃあ!」
「…、宍戸さん色気ない…」
「色気もくそもあるか!」

車道に落ちた自転車は、鳳がはやる呼吸を抑えるために一度とめられた。左右を見渡すと、ガードレールの真下にストリート

テニスコートがあり、確かに近道であるらしかった。

問題は、自転車を漕いでいない宍戸自身の息も上がっていることだ。心臓の音がうるさい。

振り向いていま落ちた崖(と呼べるほどの高さもないが)を確認する勇気が湧かない。

こんなときばかり臆病者ぶっている自分に腹が立ったが、しかたがない、と見切りをつけてかれを抱き直した。

「まだ落ち着くのは早いですよ。」

鳳の跳ねた呼吸と笑い声が耳を擽る。長い指は、目の前の急なコンクリートの階段を指差した。まさか。

「………下りんのかよ…」

「まだ空いてるみたいです。いま急げば………、あれ?」

鳳がようやく宍戸に対して振り向き、目を丸めた。色素の薄いひとみが白黒とまたたいている。

顔になにか付いているのだろうか、と慌てて頬やら口唇やら額やら髪やらに触れた。とくに違和感はない。

「…何だよ。」

「宍戸さん、帽子は?」

髪に触れていた指先がぴくりと震えた。違和感がないことが、おかしかったのだと気付いてももう遅かった。





青い帽子は潮風に揺られてゆっくりゆっくりと落ちていく。

鳥のようにくるくるとつばが回り、ストリートテニス場を越えて、海の方角へと。

「長太郎!」

宍戸は見上げた空に帽子を見定め、必死に指差す。どうやら崖を駆け下りるさいにはぐれてしまったようだ。

「宍戸さん、しっかり捕まっててください!」

鳳はハンドルを握りなおし、宍戸がぎゅうと抱き締めて間もなく二人乗りの自転車が急発進した。

長くつづく階段に眩暈を覚える。だが、鳳は待ってはくれなかった。

車輪が階段の角に触れる。ふと、思い出したようにかれの顔が目いっぱいに広がって、

「……………」

むきだしの額に口唇が触れた。奪うように、掠るように軽く。

全身の血が顔に集まっているんじゃないか、と眩暈を覚えて鳳を睨みつけた。かれは幸せそうに笑っていた。

鏡を見なくともいま自分がどんな顔をしているか分かる。きっとりんごも恥じらうような顔だろう。

「さ、行きますよっ」

二人乗りの自転車は空を飛んだ。

それにしても、なんと恥ずかしい奴め。





羽を持たない自転車は舐めるように階段を駆け下りていった。境の手すりに身体が触れないのが、不思議でしかたない。

鳳のハンドル捌きは軽い。魔法がかっているようで、恐怖も忘れて宍戸は魅入ってしまった。

ださいなんて嘘だ。ぼんぼんのくせに、自転車に乗るなんてかわいい奴、と思ったくせに。

真剣に帽子を追いかける自分達は通行人からどう見えるだろう。警官に見付からないことを祈るばかりだ。

「二人乗りって違反なんだぜ。」

抱き締めた肩に顎を乗せて囁いてやったが、ぼんぼんから答えは返らなかった。

帽子は煽られて煽られてテニスコートを越えた。同時に車輪がテニスコートに触れる。

すでに打ち合いを始めていた、同年代であろう少年たちの視線を感じたが車輪は構わずコートを駆ける。

テニスボールが顔面すれすれに飛んでいった。マナー違反が過ぎて、怒声もかからない。

休日返上でテニスをしにきたと謂うのに、このざまは何だ。制服で来るんじゃなかった。朝からやり直したい。

こころの片隅でそんな真っ当なことを考えてみても、少年の感情は追いつきもしない。楽しい。楽しくて堪らない。

車輪はテニスコートを抜けて海に向けて走り抜けていく。早朝の水撒きをはじめたお爺さんの姿が、すぐ後ろに遠退いた。

いたずらな風に攫われた帽子は、宍戸が手を伸ばせた届くほどの高さまで下りてきている。

足を骨組みにかけ、危なっかしく揺れる身体を支えるためにプラチナブロンドに触れた。汗ばんだ頭皮が伝わる。

ぐしゃぐしゃと乱暴に掻き混ぜてやってから手を伸ばした。身体がぐらぐらと揺れる。

全身で手を伸ばす。爪先を伸ばすように、伸ばす。

帽子の縁が手を掠めた。ぎゅ、と握り締めて歓喜に震えるまでもなく、目の前に。




海。




「……………」

「……………」

お互い黙り込んだまま早数分が過ぎた。捕まえた帽子はかろうじて砂浜に打ち上げられ、車輪がくるくると未だ回っている。

ずぶ濡れだった。

顔を出した太陽にじりじりと肌を焼かれ、鳳と肩を並べている。砂浜に背を預け、真横に。

「……………すいません。」

顔を向けてやったら、鳳の顔は謝意に打ちひしがれてもおらず、笑っている。

去年ならばきっとこんな顔はしなかった。宍戸よいしょ、と部員にからかわれていた去年ならば。

「…良い、別に。帽子取れたしよ。」

波がくるぶしまで触れて離れていく。捕まえた帽子をかれの頭に乗せてやったら、思った以上に似合わなかった。

「すいません。」

彼が笑う。

「良いっつの。」

おれが許す。

ゆっくりと上体を持ち上げて、太陽をきらきらと反射する海を眺めた。

気付けば鳳も身体を起こしており、肩に顔を擦り寄せ甘えてくる。やはり大型犬のようだ。

癖毛が首筋に触れてくすぐったい。宍戸はその髪に触れて、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜてやった。

調子に乗ってさらに体重をかけて甘えてくる。

その拍子に宍戸の帽子が砂浜に落ちて、空洞に砂がたまった。波も風ももう帽子に触れやしない。

避けるように通り過ぎていく。

からからからから、と回っていた車輪が止まる。静寂のなかに波の音だけが届いた。

宍戸さん、と名前を呼んで甘えてくる鳳は、去年の姿と変わらない。

ただ、身長に見合うだけの顔立ちと、骨格に男らしさが加わっていた。やることは変わらないが。

「どうでも良いけどよー…」

「はい?」

「しばらく行けねえな、あのテニスコート。」

「………すいません…」

鳳はようやく、殊勝な顔をした。





20070720

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ありがとうございますフユ様!
いちゃいちゃ鳳宍……あああ……おなかいっぱいです。なんて素敵なひなたのかほりでしょうか。
青春謳歌しすぎ気味な鳳宍、大好きです!そのまま夕日に向かってダッシュしちゃえばいい。
それに比べて私のって……しょぼーっ。
どうか比較検証してくれないでください。あれ、目の前がかすんで見えないや。