上から降ってくるものには注意をしなければならない。

何がって、例えば長太郎。

それは付き合いはじめてから、一ヶ月くらいが経った日だった。
俺と長太郎はいつものように、部活が終わって部室で着替をしていた。
他のみんなはすでに着替終わっていて、とうに帰っていってしまっていた。


「長太郎、着替んの遅ぇぞ」


先に着替終わった俺は、ネクタイの形を整えながら長太郎をせかす。


「待ってください、このネクタイがうまく結べないんですよ」
「おいおい、お前ネクタイ使いはじめてから一年は経ってんだろ?
まだそんなことにもたついてんのかよ、激ダサだぜ」


鼻で笑いとばして、俺は長太郎の前に立つ。


「貸してみろ、俺がさっさと終わらしてやらぁ」
「え、いいんですか?ありがとうございます」


なんか夫婦みたいでいいですね。
なんて、ふざけたことを呑気に笑いながら言う長太郎を普通に殴って黙らせて、
俺はさっさと長太郎のネクタイをしめた。


「おし、できた」
「さすが宍戸さん。速くて形もきれいですね」
「当たり前だろ?こんくらいできなくてどうするんだよ」
「先輩なら将来きっといいお嫁さんになれ」


ギリギリと長太郎のネクタイを絞めて黙らす。誰が嫁だ、誰が。
長太郎は顔を危険な色に変色させ、苦しそうに壁をバシバシ叩いてギブアッブのサインを出す。 その様子をしばらくは面白がって見ていたが、いい加減ヤバイかなと思い始めたところで手を放した。
解放された長太郎はすると酸素をむさぼるように息をつく。
これはさすがに、きつく絞めすぎたらしい。

「宍戸さん、さすがにそれは、やりすぎっスよ。
首を、絞めるのは、悪ければ、命に関わりますから」
「お前がオカシナこと言うのが悪い」
「そ、そんな」


ぜーぜーと苦しそうに息をつく長太郎は俺のほうに向き直ると、
照れるように笑いながら言った。


「宍戸さん、じゃあ俺にネクタイの結びかたのコツを教えてくださいよ」
「はぁ?なんだそりゃ、面倒くせぇ」
「いや、そういうこと言わないで」


俺はわざと嫌そうな顔をして、あからさまに嘆息した。
だが、まぁ別にいいか。
ネクタイの結びかたのコツなんてものは知らないし、分からないし、今から考えるなんて七面倒なことだが、
目の前で結んで見せるだけなら別にやってやってもいいかな、と思う。


「ほら、ちゃんと見てろよ」


長太郎のネクタイを一度ほどき、彼に見えやすいように少し手を持ち上げながら話す。


「ここの短い部分を、長いほうの下にいれて、ぐるっと一周させて――」


ネクタイがシュルっと巻かれて。



長太郎のキスが降ってきた。



それは突然だった。
それは唐突だった。
あまりの急激な出来事に、
俺は反応ができなかった。
時間が凍る。
俺は驚く。
長太郎は俺の耳あたりに手をやって、
静かにその唇を重ねている。
ネクタイが手からシュルリと落ちる。
予想ができなかった。
予想ができなかった。
俺は思考することもできず、
ただ長太郎の温かな手とか、
唇とか、
心臓の激しく暴れる音とかを無為に感じていた。



「……」


ふと、その唇がゆっくり離れる。
長太郎は眉毛をなさけなく下げて、
ごめんなさいとつぶやいた。


「……ごめんなさい、宍戸さん。約束を破ってしまって」
「……」


彼とは、部室とか、学校とか、顔見知りのヤツがいるようなところでは、
キスをしないという約束になっていた。
もちろん、そんなのはたてまえ上の約束で、
本心はただ俺がキスをするのが恥ずかしくて、
それを回避するためのいい口実になっているだけなのだ。
今まで彼はそれを律儀に守っていた。
長太郎はちゃんとそれを守っていた。
なのに、なのにだ。
俺は呆然としている。
うつむいた長太郎の表情を、
前髪がざらりと覆い隠した。


「でも、辛いんです。時々、宍戸さんにとって俺はなんなのか、
わかんなくなっちゃって、すごく辛いんです。
俺は宍戸さんが好き。
宍戸さんが大好きです。
だけど宍戸さんは――あんまりキスとかはしてくれないし、
そういうことはひどく嫌がるし、もちろんそれ以上のことも――
俺は、時々怖いんです」


長太郎はうつむいたまま首を振った。


「……わがままですね。
こんなに近くにいるのに、こんなにそばにいるのに。
それ以上を求めるだなんて、欲張りですよね。
でも、宍戸さんにとって俺はなんなのかな。
本当に宍戸さんは俺のこと好き?
信じてる。信じてますけど――怖いんです。
怖かった。
どうしようもなく。
途方もなく。
怖かったんです。
だから、だから何かが欲しかった」


長太郎は泣いているような声で言った。
しかし泣いてはいなかった。
言葉は震えて途切れ途切れだったが、それでも泣いてはいなかった。
泣いていないからこそ、それが長太郎の本心なんだと理解できた。
衝動的に、一時の感情で口にされた言葉じゃない、
ずっと心に沈殿していた、深い悩みなんだとわかった。
俺は自分を痛罵したい気分だった。
長太郎はずっと思い悩んでいた。
彼は辛いのだと言った。
彼は怖かったのだと言った。
彼は俺に嫌われること、
見捨てられることを恐れてる。
そんなに好きでいてくれたのに、
俺はなんてつまらない理由で――。
だけど長太郎、俺も同じくらいに長太郎のことをが好きだ。
そのことに、嘘偽りなんてない。
長太郎は俺を好きでいてくれるから、大切に想っているからこそ、
その「大切」を失いたくないという、途方もない恐怖を抱いている。
それはコインの裏と表の関係。
どっちも本当で、まったく関係ないように見えるけど、密接に関係している。
俺は長太郎のネクタイをゆっくり引っ張る。
そして泣きそうな顔の彼に小さく、キスをする。
癖のある銀髪が、ふわりと動く。
閉じた長太郎の両目から、今度こそ涙がこぼれた。


人は弱い生き物だから。
時々こうして確かめたくなる。
愛を。想いを。気持ちを。確かめたくなる。
それは決して悪いことではない。


だから長太郎、

もう泣かなくていい。




07,07:UP


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なんだかいきなりキッスネタが書きたくなった。
私にしてはめずらしく、けっこう短めなお話になりました。

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