かちゃ、かちゃ。
背後で微かに聞こえたその音に、キャップを被った青年は条件反射的にばっと振り返った。その先には、下らない話でげらげらと笑っている女子高生の二人組。片方の少女の鞄についているキーホルダーは手すりに当たってかちゃかちゃと音を立てている。それを確認した青年は、安堵とも落胆ともつかない溜め息をついて視線を元に戻した。
かちゃ、かちゃ。休日の明るい日暮れもそろそろ終わる時間帯、人は少ないが狭い車内に、軽い金属同士がぶつかりあう音が微かに響く。電車特有のガタゴトという振動音は決して小さくないはずで、イヤホンだってしているのに、ギミックじみたそれは充満する騒音の間をすり抜け青年の鼓膜にこびりついて離れない。
思えばこの音は、“彼”の証明だった。象徴、といってもいいかもしれない。
頂点に選ばれるのは数名だが、総人数実に二百人余りの仲間が共に技を磨きあうあの部では、特定の個人を見つけるのは至難の技だ。目立ちたがり屋の部長はともかく、自ら群衆に埋まりに行ってしまうような“彼”はいくら他より頭一つ高いとはいえこちらから見れば遠近法に紛れてしまってわからない。レギュラーだけが指定ジャージを着られるなんて決まりもないからどこを見回しても自分と同じ柄のシャツかジャージだ。呼びかけようにも方向すらわからないなら意味がない。
そんなとき、まだ少年だった青年は決まってそっと目を閉じた。白と青の洪水だけを追いかけていたってらちがあかない、まずは邪魔な視力を排除する。それから耳を澄ませて、“彼”の証明であるあの音を探すのだ。
願掛けなのか、クリスチャンでもない“彼”がいつも首にかけているチョーカー。ふとした瞬間にきらりときらめくその光とジャージのチャックのぶつかる音、そんな刹那こそがまさに、“彼”を表わすサインだった。ラケット同士がぶつかる音とは明らかに違う、夜空へと透き通るような金属音。どんな喧騒のなかでも、不思議とその音だけは青年の耳に引っかかってきた。
そこまでいけばあとは簡単だ,音のした方向に向かって“彼”の名前を呼んでやればいいのだから。長太郎、青年の口がその形を作り終えるか終えないかのうちに、“彼”は跳び跳ねるように走ってきたものだ。何がそんなに楽しいのか効果音がつきそうなほどの満面の笑みで、宍戸さん!と駆け寄ってくるその光景は今でも目に焼き付いている。
閉じた瞼の裏で、月光色の髪がふわり、揺れる。
慣性の法則に忠実に則って、青年を乗せた電車は駅名を告げるなりぐらりと傾いた。ついでに起こしたけたたましいブレーキ音が、壊れかけのイヤホンを突き破る。電池残量を確認して、青年は安っぽいラブソングごとプレーヤーの電源を切る。ぶちりと途切れるひとつのノイズ。
かちゃ、かちゃ。
金属音は未だ続いている。青年以外の誰も気づいてはいないだろうそれが青年には、あなたが気づいてくれるならそれでいいです、と“彼”の声で呟いたように思えた。
電車はとっくに発車して、青年を乗せゆらゆら揺れる。キーホルダーもゆらゆら揺れる。かちゃ、かちゃ。車内に響く“彼”の証明と窓から零れる白銀の月光が、青年をそっと抱き締めた。
名前を呼べば、きっと、ほら。
【哀愁トレイン】
(止められない)(目的地は過ぎてしまった)
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如月殿からげっちゅ!
素敵極まりない小説をどうもありがとう、含蓄のある奥深い君の小説が大好きさb
素敵すぎてこのサイトから浮いているような気がするのが……切ない……。