二話【恐怖?】
気がついたら病院で驚いた。
体を起こそうとしたら、全然腕に力がはいらないものだからさらに驚いた。
今、何時なんだろうと思って外を見てみたけど、雨があまりに暗く降っていて昼なのか夜なのか、さっぱりだった。激しい音とともにひっくり返るバケツ。大きな雨粒が窓のさんにぶつかり、砕けて、闇に消えてゆく。
あの日のあれは、一体なんだったのだろうと思う。お腹がすいていたという理由にしては、宍戸先輩はあまりにもおそろしい目をしていた。
今思い出してみても、ぞくりとする。彼の獲物を狩るような、鋭利で強烈な双眸。あの鋭さといったら、なかなか忘れがたい。その時のおれは、それを見てふと死を覚悟してしまっていたのかもしれない、今となってはそう思える。
宍戸先輩が病室にお見舞いに来てくれたのは、おれがお医者さんからなんやりかんやら説明を受け終わった、その時だった。
「昨日は悪かった、鳳」
宍戸先輩はおれのベッドの横に座ると、まっすぐ見すえてきてそう言った。
「もう平気っすよ、先輩。先生が言うには、明日にはもう退院できるって。ちゃんと点滴をうっていれば、すぐに元気になるって言ってましたから。それに、おれは昨日のこと、全然気にしてないんですから。それにしても、なんでこんなことになっちゃったんでしょうね」
とおれは茶化すように笑った。だが、彼の表情は暗く重たいままだった。
「悪い。本当に、悪かった」
彼は本当に申し訳なさそうにおれを見た。だけれど、瞳だけは正直だった。
「(あ、この目)」
あの時と、同じ目だった。なにかに飢えたような、痛むほどに熱い視線。それはおれを見ていなくて、少し乱れた病院服の間からのぞく、首筋の小さな傷を見つめていた。
おれはつとめて何気なく、言ってみた。少し声が震えていたような気がするが、彼には気づかれていないと思う。
「まだ……ほしいんですか」
彼ははっとした顔になり、慌てて目をそらす。
「いや」ためらいながら彼は「さっき、跡部のやつからもらったからいい」
と言った。
それは鈍感なおれの目にも明らかな、嘘だった。
おれはなんだか気まずくなってしまい、慌てて話題を変えた。
「すいません、昨日と今日は練習できなくて」
「謝るなよ。そういうの、全部俺のせいだし。それに、今日はもともと雨がひどくて練習できなかった」
彼はそらした視線を窓の外へとほのめかすと、笑った。外では雨が止んでいて、とても静かな闇が広がっていた。
「明日は、練習できそうだな」
言って宍戸先輩は笑い。
「はい、明日はテニスができますね」
おれもつられて笑った。白く四角い病室は、ガラスケースのように静まりかえっていて、恐怖を必死に紛らわそうとするそんな笑い声は、うつろに部屋を反響した。
彼が退室したあと、いよいよ病室は静かになり、おれは少し身震いした。
さっきふと黙り込んだときにおれと宍戸先輩が考えていたことは、おそらく同じだったのだろう。
(次こそは、きっと死んでしまう)
今回はどうにか一命をとりとめることができたけど、次も大丈夫という保証はどこにもない。次に宍戸先輩が血を吸うときは、もう歯止めが効かないかもしれない。
その光景は、痛いほどリアルにおれのまぶたに迫ってきた。
宍戸さんのそばに、自分の白くなった亡きがらが横たわる。自分のすべてを捧げつくしてしまったおれは、力無く手をなげだしている。月は今日みたいに満ちていて、そんな二人をやんわり照らしている。
宍戸さんの鋭い視線を、からっぽのおれが一身に受け止めている。白くなった頬には、二度と赤い血はかよわない。かたく閉ざされた瞳は、二度と彼の姿をとらえない。だらしなく半分あいた口は、二度と彼の名前をささやかない。
彼は、しだいに冷たく固くなってゆくおれを見て、何を思っているのだろうか。静かな瞳をした先輩は、ただなにも言わずおれを抱きすくめている。なめらかに長い黒髪が、さらりと流れて、おれの顔を覆い隠した。
夏の夜風におれは思わず身震いする。
それはとても、恐ろしい光景だった。
(と同時に、それは気が狂いそうなほど幸福な光景だった)
07,10,09:UP
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