三話【セーラー服のアヤシイやつ】



「今日はなんだか楽しそうね。何か良いことがあったの?」


 星がきれいな、ある晴れた夜だった。電車の窓から夜景を眺める俺に、梅子は視線を本に固定したまま聞いてきた。彼女も本ばっかり読んでいないで、たまには外を見るべきだと思う。今日の空はこんなにもきれいなのだ。東京の中心とは思えないほど、星があんなにまたたいている。まぁ、今日見る夜景がきれいだと思えるのは、ただ晴れているだけではないだろうけど。


「・・・気色悪いわね。何を呑気に独り笑っているのかしら。なんてアヤシイやつなの」


 ・・・それ、梅子にだけは言われたくない。梅子は何だか幽霊みたいなやつだし、勝手に人の家に侵入してきたり、しかも、たまに話すことは暗いし恐いしオカシイし。アヤシイやつの典型例みたいな梅子にだけは言われたくなかった。


「実は俺ね、今日宍戸さんのことをこころおきなく相談できる相談相手ができたんだ。少し恐そうで、感じ悪そうな人だったんだけど、話してみたらとてもいい人でさ。あの人が話すことって例外なくおもしろくってさ、本当に、素敵な人なんだよ」
「へぇそうなの」


 梅子は目を見開いた。


「似たもの同士はかぶるものなのね」
「へ?」
「私も、実は今日相談相手ができたの。今まで後押しされたことがなかった想いを、彼女は応援してくれたの。彼女のアドバイスはとても的をえていて、的確で、本当に、彼女はキャパシティーが広いの。彼女とおしゃべりしているのはとても楽しいわ。私も本当に、いい相談相手を得たわ」
「そうなんだ」


 彼女は人込みの中、そっと微笑んだ。


「本当に、私たちってどこまで似たもの同士なのかしら」
「だね」


 うなずいて、俺も呑気に頬をほころばせる。




+++




 それから、長太郎があいつと話をしている姿をよく見かけるようになった。
 どうやら何か、おおっぴらに話せない内容を話しているらしく、時々人目を気にしながら話している。俺は、なんとなくその態度が気にくわなかった。長太郎が他の誰と話をしようと彼の勝手だが、どうしてか、転校生と長太郎が楽しげに話をしている姿を見かけると、体の底から虫がわいて出るような嫌な気分に襲われた。
 そんなときはいつも、わざと二人の間に割って入って会話の中に入ろうとした。だが長太郎に何を話していたのか聞いても、いつも。


「え・・・宍戸さんにはちょっと言えないことなんです」


 とか、少し頬を紅潮させて言うのだ。俺は呑気に笑う長太郎に、何かあるなら俺にも言えよと言うが、長太郎は呑気に笑ったまま、曖昧にうなずくだけ。
 長太郎が笑う姿はとても好きだが、こんなときはどうしてか憎く感じた。
 胃袋の底から虫がわき出てくるような、嫌な感覚に俺は顔をしかめる。
 俺はそのとなり、訳知り顔で一緒に笑う転校生が嫌いだった。


「おいそこ、無駄話なんてしている暇があるならさっさと位置につけ。タイム測定がいつまでたっても始めらんねぇだろうが。次がつかえているんだ早くしろ」


 と、そんなことを部活中に話しこんでいたから、跡部部長様々に怒鳴られてしまった。俺たちは慌てて位置についた。もちろん今日はタイムも計る。俺はとなりでまぶしそうに空を見あげる転校生を見る。・・・いや・・・彼は過去の、俺だ。ならば負けるわけにはいかない。以前の俺なんかに、俺は負けるわけにはいかなかった。
 闘争心を激しく燃やす俺をよそに、過去の俺は俺を見て、不敵に笑った。




+++




 俺は未だかつて、傍観しているだけでこんなに疲れる1000メートル走を見たことがない。
 転校生の宍戸亮と俺の幼馴染みの宍戸亮はほぼ同着・・・否、俺様の幼馴染みの方が若干早く、白いラインを越えた。ラスト100メートル、そこに至るまで、二人は完全に横に並んで走っていた。どちらも相当必死で、まるでこの勝負に負けた方には死が待ち受けているんですとでも言うような、とんでもない形相で走っていた。それも始終。見ていて疲れる。最後、宍戸がゴールしたときなんて、あいつは天高く拳を突き上げて『ゲットだぜ!』とかいう台詞を吹き出しで加えたいほどいい顔をしていた。先日忍足から見せられたアニメの主人公とそっくりだ。特に、帽子のつばを後ろにしているところなんかまさにアレだ。俺はテニス部員を四班に分けたうちの一番先にタイム測定は済ませてあり、部員が真面目に走っているか部長として監視していたのだが・・・あいつらはこの後に通常の練習があることを覚えているのだろうか。不真面目に走られても困るが、この後の部活で使い物にならないくらい真面目にやられても困る。


「お前なら、すぐにでもレギュラーになれそうだな」


 俺はふと転校生にそう言った。脚力、技術、持久力、テニスの上手さを評価する要素はあまたとあるが、彼はどこをとって見てもレギュラーに入って十分やっていけるだけの実力をもっていた。冷静に彼の実力を見た末に出た俺様の結論だ。俺様の評価に狂いはない。だが彼は嫌そうな顔をして言う。


「いや、俺はレギュラーには興味ねぇんだ」


 誰もが喉から手が出るほど欲するテニス部のレギュラーの座を欲しがらないとは。流石に、俺様のプライドを安くみられたような嫌な気分になった。だが、まぁいい。欲しない者に与えられるものなどない。彼がいらないというのなら別にいい。上を目指さない者に進歩がないように、彼にもし実力があったとしても志がないならレギュラーにはいらない。彼をレギュラーにするとしたらどのポジションがいいだろうかと、頭の中に広げていた考えを白紙に戻して、俺は自分の幼馴染みと瓜二つな彼に言う。


「レギュラーに興味がないにしては、さっきのタイム測定、宍戸とかなり張り合っていたじゃねぇか。レギュラーの座に興味がないとか、そんな不真面目なやつには見えないんだがな。本当、おかしな話だ」
「・・・」


 転校生は少し慌てたそぶりを見せると、うっせぇ、とか何とか生産性のない罵倒語を吐いて去った。




+++




「愛とは、例えるならば料理包丁みたいなものだと私は思うの」
「は?」


唐突に、彼女はまたわけのわからないことを言う。ふぞろいな窓が立ち並び、水銀灯が等間隔にともる住宅街、俺は珍しく梅子と駅から家までの道のりを歩いていた。俺はいつものように無口な梅子に向かって、今日宍戸先輩と話したことや部活であった出来事を話していたので、これは驚くほど突拍子もない話の転換だ。
頼むから、もっと心臓に優しい話の変えかたをしてくれないかな。相変わらず梅子という存在は存在するだけで心臓に悪い。


「愛とは、幸せという料理を創る、包丁。鋭利であれば鋭利であるほど、料理を上手に創れるし、錆びてなまくらになればできる料理は狭くなる。包丁は料理を作る上では欠かせないもの。つまり、人は、愛無しには生きられない存在なのよ」


俺はこめかみを押さえる。相変わらず梅子の哲学は難解で意味不明で俺にはさっぱりだ。


「梅子の言うことによるとさ、少しおかしなことにならないかい?だって、包丁がなくてもできる料理はあるし、第一、包丁が愛で料理が幸せなら、その他の調理器具は料理に対する何になるんだよ」
「……そうね、たしかに、包丁がなくてもできる料理はある。混ぜれば出来上がるような簡単な幸せもあるわ。でも、人はすぐに、それに物足りなさを感じる。混ぜてできるものそれだけではすぐに満足できなくなる。包丁は、きっと人が生きていくのに必要不可欠なものだわ。包丁だけじゃない、他の調理器具だって、必要なことには変わりない。調理器具は、うまく使えば素敵なお料理を創ることができるけれど、使い方を誤れば人を殺傷しうる凶器になるわ。鋭利であれば鋭利であるほど、できあがる料理は美味しいし、鋭利であれば鋭利であるほど殺傷能力も向上する。それはどの調理器具にも共通すること。でも、とりわけその要素を強く含んでいるのが、包丁なのよ」
「でもさでもさ、」


俺はわざと梅子の哲学にいちゃもんをつける。彼女は少し嫌そうな顔をしたが気にしない。


「調理器具にはどういう風に使っても絶対安全ってものがあるんじゃない?例えば、計量カップ。例えば、計量スプーン。ほらね?どう使ってもこれじゃあ人は殺せないよ?」
「……」

梅子はふと口をつぐんだ。もしかしたら、彼女の理論の矛盾点をつくことができたのかな?俺はそんなことを期待しながら、彼女の次の言葉を待った。


「……計量カップということは、カップなのですよね?計量スプーンということは、スプーンなのですよね?」
「うん、そうだよ」
「ならば話は早い。計量カップを人の口に押しつけて鼻をつまめばいい。スプーンで眼球をえぐり出して中の脳みそをぐちゃぐちゃに掻き乱してしまえばいい。それで十分。それで十分人は殺せますわ。人は案外簡単に死ぬのですよ?」
「……」


ちょっと待ってくれ。俺は一瞬これが中学生女子からの発言であることを忘れた。梅子の脳内構造は一体どういう仕組みになっているんだ。恐ろしくて想像したくない。だが、きっと世にも奇妙な地獄絵図が繰り広げられているのだということは容易に想像がついた。


「でもあなたは安心していていいわ」
「何が?」

梅子は目を細めて薄闇のなか、かすかに笑った。


「私があなたを殺すなんてことはないわ。だってあなたは私の好きな人ではない、ただの似たもの同士ですもの」


本のページをめくる静かな音だけが、二人をやさしくつつんでいた。






+++



彼、転校生の宍戸亮はやたらと俺や長太郎に話しかけてくる。つい数日前に転校してきたとは思えないほど、妙になれなれしく接してくる。おいおい、昔の俺はそんなに積極的に他人に話しかけていたか?ウザイと感じるほど他人に話しかけていたか?俺はときどき疑問に思うが、どうやら、自分から見た自分の印象と、傍目から見た自分とは大きな差があるのだろうと思う。どうやら、俺は意外となれなれしいやつだったのだろう。
だが、そう考えるとき、なぜだか変な胸騒ぎがした。どくん、どくん、と頭の奥で心臓が脈打つような、変な感覚がした。
その日も、転校生は妙になれなれしく俺に話しかけてきた。


「長太郎って、お前にだけは特別優しいんだな」


 午後の部活の準備をしているときだった。飄々とした態度で、転校生はなんでもないことのようにそう言う。
 ……彼は何も知らないのだ。長太郎のことについて、何も知らない。少なくとも、俺と比べると全く知らないに等しい。そんなやつに、長太郎のことを何も知らないやつに、そんなことを言われるのは気にさわった。
 俺は額の汗をぬぐいながら、昔の俺を睨みつける。

「・・・勘違いすんな。あいつは、いつもああなんだ。俺にだけ特別、なんてことはねぇよ。勘違いすんな」


 何も知らないくせに。昔の俺のくせに。知っているようなそぶりを見せているのが気に食わない。


「へー。それは本当なのか?」


 やはりどこか自信や確信をはらんだ態度で、昔の俺は言う。黒く艶のある髪が、不敵にうごめく。
 俺は暑さのせいもあって、少しやけになって言う。


「・・・どうでもいいだろ、そんなこと。それより手ぇ動かせよ、いつまでたっても部活はじめらんねぇだろ」
「どうでもいい?本当にどうでもいいのか?本気でそのことを、『どうでもいい』と思っているのか?鳳がお前に特別にやさしいのか違うのか、それってけっこう重要なことだと俺は思うんだがなぁ」
「・・・」


 同じ声、同じ顔、同じ目線、そんな彼から言われると、まるで自問自答しているみたいな錯角におちいりそうになる。俺はふと考えてみる。たしかに、彼の言うとおり、それはあまり軽視してはいけないことのように思える。
 長太郎は基本的に誰にでもやさしいやつで、困っている人がいたら放っておけない性格をしているが、もしも、いままで長太郎が俺にむけてくれたやさしさが、『当たり前』のものではなくて、『特別なもの』だとしたらどうなるのだろう。
 それは、俺が長太郎の『先輩』だからか?
 それは、俺が長太郎の『ダブルスパートナー』だからか?
 それは、彼が俺のことを尊敬しているからか?
 それは、彼が俺のことを、好いて……。
 いや、それは違う。それはない。やはり気をつけているのに、俺はどこか勘違いしている。そもそも発端がおかしい。長太郎は基本が『やさしいやつ』だから、うっかり勘違いしそうになるが、彼が俺にやさしいのは、俺が『特別』なのではないのだ。俺は長太郎の『特別』ではない。俺は長太郎の『特別』ではない。俺は長太郎の『特別』では決してない。俺は長太郎の日常に生息する、ただの『先輩A』にすぎない。
 どくり、どくり、頭の奥で心臓が脈打つ音がする。それがひどく気持ち悪くって、俺は目をつぶる。


「危ない宍戸!!」


 逼迫した声に、俺は目を開ける。黄色い物体。相当な速度。顔。
 俺はとっさに横に飛びのいた。今まで俺の顔があった位置に、テニスボールが轟音とともにつきささる。
 びびったー。と、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間。飛びのいた先は、階段だった。がくん、と揺れる視界。足は段差を踏み外す。浮遊感。回転。衝撃。ぐきゃ、という変な音とともに、俺は階段の一番下に不時着した。
 俺は心配そうにのぞきこむ転校生をいまいましそうに睨む。
ほうら、どうでもいいことをいつまでも鬱々と考えこんでいるから、こんなことになる。


「宍戸さん、大丈夫ですか!?」


 真っ青になって駆け寄ってきた長太郎に助け起こされて、俺はどうにか立ち上がることができた。だが、階段を踏み外したときに足をひねったらしく、足首からはずきりずきりと脈打つ鈍い痛みがあった。


「宍戸さん、どこかケガしていません?血とか出ていません?ひねったりとかしていません?」
「……あぁ、大丈夫だ。どっこも痛くねぇからな」


 嘘だ。足首の痛みはだんだん強くなっている。


「練習、出れそうですか?……無理そうなら無茶はしないでくださいね、宍戸さんはそういうところで無理をするきらいがあるから……」
「大丈夫だって」


 俺は長太郎の頭を乱暴になでる。すると彼は、元気なさげにうなだれていた顔をあげて、かすかに笑う。


「おっし、じゃあ準備の続きしようぜ」
「大丈夫じゃねぇだろ」


 茶々をいれたのは、跡部だった。


「どう見たってその足、階段の段差を踏み外したときにひねったんだろ?歩くことでさえつらそうじゃねぇか。あん?違うか、宍戸」
「……」


 俺は肩を借りていた長太郎から手を放し、跡部の言葉を無視してその場を立ち去ろうと歩く。
 が。


「あ……づっ………」
「宍戸さん!!」


 我慢すれば何てことないだろうと思っていた足は、思っていたよりも高い熱と激痛をともなって俺を責めた。


「俺様の目を誤魔化せるとでも思ったか、宍戸」
「……」
「お前は今日の部活、見学していろ。いいな、決して部活に参加しようとはするなよ。基礎トレも、基礎打ちも、ラニングも、準備体操も、すべて、見学して、休め」


 それは新手のイジメですか?それは新手の拷問ですか?俺はよっぽどそう言ってやりたかった。
 俺は視線で長太郎に助けを求めたが、長太郎もどうやら跡部の意見に賛成らしく、今日の部活は休んでください、と目で訴えてきた。長太郎のくせに生意気だ。


「じゃあ……今日のダブルス練習、D1はどうしましょうか」
「そうだな……」


 跡部もさすがにそこまでは考えていなかったらしく、虚空を見つめながら考えだした。


「相手に困ってんなら、俺がやるぜ」


 どこかつかみどころのない雰囲気で、転校生は跡部に意見した。不敵な笑みを浮かべて、やはり跡部に対してもどこかなれなれしい。
 おいおい、たしかにこいつは俺の過去だが、こいつはまだレギュラーではない。レギュラーにはレギュラーの練習内容があるし、準レギュには準レギュの練習内容があるし、平には平の練習内容がある。それはいろんな意味で越えられない壁であって、まさか、転校してきてから数日のあいつがレギュラーの練習に混ぜてもらえるなんてことは万に一もな……。


「いいだろう。ただし、練習の足は引っ張るなよ」
「!!」


 転校生は曖昧に返事をすると、長太郎を連れてコートへと向かった。
 俺は信じらんないといった顔で跡部を見る。彼もそれを察したか、何か訳知り顔で俺を見る。


「ここ数日転校生の練習の様子を見ていてだな、あいつのプレイスタイルが驚くほどお前と一致していることに気付いたんだ。だから、今回は特別にお前のかわりにあいつを練習に参加させたんだ。なに、心配するな。おそらく二人はうまく練習するだろうよ。お前が最も嫌う、自分のせいで鳳の練習量を奪うなんてことにはならなさそうだ」


 跡部は何か勘違いしている。
 もしも、何の問題もなくあいつが俺が抜けた穴を埋めてしまったら……それこそが一番の問題なのだ。





07,07,25:UP