四話【ダブルス】
「宍戸、お前、本当にあいつと無関係なのか?」
部活が終わり、俺は自分の幼馴染みを目線でさしながら、転校生にきいた。目線の先の俺の幼馴染は、片足をかばいながらぎこちなく歩く。当たり前だろ、俺はただの転校生だ。彼は曖昧に返事をして立ち去ろうとする。なんとなく、彼はこの話題を適当に返事をして、なるべく触れてほしくないのではないかと思う。
そこが妙に、俺の気にひっかかった。
「関係ないにしては、気味悪いほど、あいつとプレイスタイルが一致しているな。いや、テニスだけじゃねぇ。顔も、声も、背丈も、体格も、性格も、クセも……宍戸のそれと奇妙に一致している」
「気にしすぎだろ?考えすぎだろ?お前に一体何がわかんだってんだよ」
「俺様にわからないことがあるとでも思うか?」
「……何いってんだ、俺とアイツはまったくの別人で、まったくの無関係だぜ?プレイスタイルとか、性格とか、それは部長の買いかぶりすぎだ」
「……」
俺だって、そう思いたかった。そして実際、少し前までそう思っていた。
彼が俺様の幼馴染みと同じなのは、容姿や声や体格だけだと。一致しているのはただそこだけであると、思いたかった。実際、転校生と彼とは送ってきた過去、家族構成、その他もろもろのとりまく環境はまったく違う。俺様が調べさせたのだから、それは確実だ。
転校生と彼とは、何か奇妙な偶然が一致しただけ。冷静な判断をすれば、そういうことになる。
……今日の練習を見るまでは、まだそのことに可能性を見出せたし、現実味があった。
鳳と転校生とのペアは驚くほど呼吸があっていた。
呼吸があう、なんて次元じゃない。テレパシーの存在を疑ってしまうほど、二人の練習中の意識疎通は完全だった。
そう、それはまるで……いつもの鳳宍戸ペアの練習を見ているようだった。
強い絆。断固たる信頼。鳳も最初はそれに戸惑っていたようだが、ほどなくして、わずかだがあった違和感は消え去った。
彼らが初めて組むのだとはとても考えがたい。急造ペアの成せる技とは到底考えがたい。まるでずいぶん前から、ずっと、二人には強い繋がりがあったような、そんなことを俺に思わせた。
「本当に、貴様と宍戸は無関係なのか?」
「っ……いい加減しつこいぜ跡部!」
転校生は声をあらげた。そしてすぐに、しまったという顔をする。ひどく狼狽し、彼は俺に何かを悟られまいとするように逃げ去った。
+++
「悪いな長太郎、今日は練習に参加できなくて」
俺はコートにブラシがけをしている長太郎に言う。夕焼け色の横長ブラシをひきずる彼は、申し訳なく言う俺を見て、そんなことないですよっ!と力一杯否定した。
いやでも、そんなことあった。俺が急に抜けたせいで、長太郎は俺とのダブルスの練習ができなかったのだ。ダブルスの練習自体はできたかもしれないが、こういう練習はペアの二人がそろっていないとあまり意味をなさない。
俺はまた、長太郎から貴重な練習量を奪ってしまったのだ。それは一番やってはいけないことであって、俺的には死罪に値する重罪だった。
「宍戸さん、あのね」
罪悪感に無茶苦茶に追いつめられている俺を見て、長太郎は呑気な表情になって言った。
その表情に、俺は見覚えがある。俺を元気づけようと、不器用なくせに何かを言おうとしている顔だった。俺をどうにか喜ばせようと思っている顔。長太郎らしい的外れな方法で。
「宍戸先輩と練習していたら、ほとんど宍戸さんと練習しているのと変わりませんでしたよ」
長太郎は言ってはならないことを言った。
「宍戸さんがいなくても、大丈夫でした」
「……」
白い感覚が、頭を染める。何も考えられなくなって、何も考えられなくなって、何も考えられなくなって。ただ、わなわな震える拳とか、てのひらに食い込む爪だとか、唇からにじむ血の味とか、腹の底でのたうちまわる黒い激情だとか、そんなものしか、俺は知覚できなくなっていた。
「……宍戸さん?」
長太郎の言葉に何ら反応をみせない俺をいぶかしがって、長太郎は俺をのぞきこむ。
口を開いたら、汚い罵倒語しか出てこないような気がした。何か言ったら、彼を傷つけてしまう気がした。
何に怒っているかわからない。何に憤っているかわからない。どうして自分は不機嫌なのか。どうして自分は不機嫌なのか。自分がまったくわからない。
とにかく今は、長太郎と話す気になれなかった。心配そうに、何度もたずねてくる長太郎を無視して、俺は独り、着替えるために部室へと背を向ける。
夏の夕暮れは明るく、あたりは光に満ちているのに、
俺のまわりだけは漠然と、真っ暗だった。
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部室についても、そこには誰もいなかった。当たり前だ、みんなはまだ片づけをしているのだから。うるさいほどの静寂につつまれながら、俺はもくもくと服を着替える。
ふと、背後に人の気配が現れた。振り向くと、あいつがいた。
宍戸亮。転校生の、宍戸亮。引っ越す前は埼玉にいて。父親の仕事の都合で東京に引っ越してきて。妹が一人、姉が一人、母親と、父親、家族五人で学校の近く、歩いてすこしのところに住んでいる。俺と同じなのは、顔立ちや、見た目や、体格や、声や、性格……偶然がおこれば、一致しても別におかしくはない。一致しているところで、別におかしくはないし、一致しているからと言ってこんなことを考えるのは、ちゃんちゃらおかしい話なのかもしれない。
だが俺は思う。……こいつは、俺と同じ存在、同じ魂、同じ肉体をもって生まれた、同じ人間なのだと。
証拠はない。保証もない。証明は不可能であり、妄想だと言われればそこまでだ。
だが俺は理解していた。理屈ではなく、本能でもなく、魂で、そう感じていた。
「お前は、過去の俺なんだろ」
ずっと考えてきた。ずっと考えてきた。
彼は、肯定こそしなかったが、否定もしなかった。 そして彼は、わけしり顔で言う。
高みから俺を見るような、見下した視線。何かを知っているような含み笑い。風もないのに、黒い長髪がゆらゆらと奇妙に揺れている。
「……お前にしちゃ、利口な解釈だな」
「!!」
彼は……認めた。
自分が俺と同じ肉体をもつことを。俺と同じ人間であることを。俺と同じ魂をもつことを。俺と同じ、存在であることを。
「なら!どうやってこっちに来たんだよ。お前のいる時間から、お前のいる場所から、どうやって『ここ』にやって来たんだよ!」
「……」
彼は少しためらうそぶりを見せた。
「……別に信じろとは言わねぇからな」
「あぁ」
「俺はな、気まぐれな桜に、魅入られたんだよ。因果を歪める、桜の木にな」
………………………。
……はぁ?俺は思わず聞き返してしまった。
桜が、何?それが一体どうしたというのだ。
「あいつは俺にこう言った。過去を変えることはできないが、未来を変えることはできる。それは希望であり、絶望でもある、と。
それでもいいなら、願いを叶えてやると」
「……」
何を言っているのかは、わからなかった。
だが俺の本能は警鐘を鳴らしていた。
彼は俺の敵であり、彼は俺の敵であり、彼は俺の最大の、天敵であると。
+++
梅子は基本的に悪いやつではないと思う。話しかければいつも相づちをかえしてくれるし、時々だが自分から自分のことを話したりする。考えることは少し……いや、だいぶ難解なものが多いが、ただ、彼女はどこか真剣に考えすぎたり、思いつめてしまったりするきらいがあるだけなのだ。俺と同じで、不器用なまでに一直線。それゆえに、思いつめて、勝手に思考だけが暴走して、勝手に独り傷ついていく。
この日も、彼女はどこか思いつめた様子だった。日がながくなり、まだ窓から細く夕陽がさしこむ通勤電車。彼女は首を九十度に折り曲げて、うなだれていた。長たらしい髪が、表情をすべて覆いつくす。梅子は何も言わない。だが、微妙な緊張感がはりつめていた。
……ぱたり
静寂をやぶったのは、そんなかすかな音だった。
カーテンのように外界と梅子をへだてる黒髪のすきまから、本をのぞき見てみる。本には、できたばかりの涙の染みがひろがっていた。梅子は慌ててそれを拭く。だが、涙は止めどなくぱたりぱたりと本に落ちる。
「……い、けない。これ……借り物の、本なのに……図書室か、らの、借り物……な、のに」
彼女は顔をおさえる。今にも泣き崩れてしまいそうなほど、梅子はひどく脆くみえた。独りで、何かを思いつめて、それで独りで、勝手につらくなる。彼女はまさにそんな状態なのではと思う。
どうしたの?俺はきいてみると、梅子は、悲しみを噛みしめるように、ぽつりぽつりとつぶやきだした。
「……私た、ちが、取り繕うようにして、大切に守っているこの現実というものは……それほ、ど、大したものなのでしょうか。この何もかもが不自由で、醜いも、のが……飽和状態までに溶けこ、んだ……現実というも、のが」
まただ。梅子の、わけのわからない人生観。俺はあんまりこういう話を聞くのは好きではなかった。だが、彼女の話は真剣に聞かなくてはいけない気がした。梅子は、声を震わせて泣いていた。彼女はつらがっている。ならば、俺は彼女の話を最後まで聞いてあげないといけない気がした。俺は梅子になにもしてやれない、なにも力になってやれない。だけど、彼女がつらいとき、話を聞く相手くらいにはなれる。
「生きていく、ことはつらいわ。享受す、る幸せとは、理不尽なほど、釣り合いがとれていない。不幸は世に……あ、ふれているのに、そのなかの幸せは、あまりに少ない。私が……白線の外側の世界に、行きたいと思うの、は……いけないことでしょうか」
「ちょっと待ってよ」
俺は、その暗喩的な言葉にひどく不安感をいだいた。
「梅子には好きな人がいるんだろう?だから、生きていることが楽しいとかなんとか、言っていたじゃないか。なのにこの世界に興味がないって……」
「そうね。そうだったわね。でもね、最近彼と私との関係が、希薄、に、なってしまっているの」
「付き合っているのに?」
「いいえ。彼とは、お付き合いをしている、という関係ではないわ。ただ、私が一方的、に、彼のことが好きで、そばにいさせてもらっているだけ」
彼女がこういう話をするときは、決まって彼女の身に悪いことがあったときだ。俺はそのことを、なんとなくわかっていた。梅子の悪いことは、俺の悪いこと。梅子が何をつらがっているか、おおかた想像はついた。
「今日、彼に……私は無視をされ、て、しまったの……。恐らく、彼はただ不機嫌な、だけ、で……私のことを、なんとなく、わすら、わしく、思っただけ、なのだとは、思うわ。だけど……つらい。私は、苛烈に疲れている。彼に、私という存在を否定された、よう、な気がし、て……ひどく……」
「……つらいんだね」
「……」
梅子は無言でうなずく。奥歯でおえつを噛み殺しながら、彼女は静かに泣く。
俺だって、今日はよっぽど泣きたかったのだ。つらいことがあって、そんな日には、俺だって涙を落としたかった。だが俺は泣けなかった。梅子が泣いているから、俺は泣けなかった。
逆に言えば、梅子が泣いているから、俺は泣かなくてもよかった。
彼女が泣くから、俺は泣かなくていい。
俺たちは、全然違う人間だけれど、奇妙なところで似たもの同士だった。
「どうして私はこの世界に生きているのでしょうか」
梅子の悲痛な叫びは、電車の静かな騒音のなかにとけてきえた。
誰も聞いていない、だが、俺だけが聞いていた。
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07,07,27:UP
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