六話【崩壊日和】
ハトかなにかが鳴いている。
俺はうららかに公園を謳歌する小鳥畜生を蹴散らしながら自転車を爆走させる。バサバサー。エサをついばんでいたハトたちは豆鉄砲を喰らったような顔して飛び退く。
「畜生!俺の馬鹿野郎!!」
まただ、またやってしまった。
目覚ましをかけ忘れて寝過ごしてしまった。電車が発車するまであと五分。まずい。非常にまずい。
汗だくになりながら駅の入り口に自転車を乗り捨て、階段を一段とばしでかけあがる。
電車のドアが閉まっていく。
させるか!
俺はドアに自分の体をねじこんでドアが完全に閉まるのを阻止する。そのままぐりぐりと体を滑り込ませ、車内に侵入することに成功した。痛い。挟まれたところが非常に痛い。
でも痛い思いをしたお陰でなんとか遅刻の境界線上に立つことができた。デッドラインの上はまだ死んでいない。ギリギリ『生きている』の内だ。安堵。背中が弛緩する。
にしても、こんな具合いにしょっちゅう寝坊していちゃ体がもたない。なんとかして目覚ましをかける前に寝落ちてしまうことを防ぐ方法を考える必要がありそうだ。部活から帰ってすぐベッドに横になるのがいけないのか?いやでも、くたくたに帰ってきてからすぐに横になるなと言うのには無理がある。それは休憩時間に水を飲むなと言うことと同じだ。我慢できるかっつの。
しばらく考え込んだ結局、俺の小さな脳みそで考え抜いた結果としては、『気づかない間に寝落ちてしまうことを防ぐ方法はない』ということになった。いやいや。いやいやいやいや。もう少しよく考えろよ俺。
電車が止まったのは、そのときだった。
何の前ぶれもなかった。大きく車体が揺れたかと思うと、嫌な予感とともに電車は慣性につられて前後し、聞き覚えのあるガタンという音とともに完全に停止し沈黙した。
「・・・嘘だろ」
短い髪の毛をがしがし掻いて、俺は自分に取り憑いている疫病神に悪態をつく。
俺の疫病神はどうやら朝に活発になるらしかった。
+++
もういい。俺は捨て鉢な気分になり遅延証明書を受けとることをやめた。こんな意味のない紙切れなんて、見ているだけで虫酸が走る。タイムマシンがもし開発されたのなら、まず鉄道会社が購入するべきだと思う。今まで事故や緊急点検でどれほどの貴重な時間を人から奪ってきたのか、考えたら意味なく怒りがわいてくる。
そんな下らないことわりと真剣に考えていると、葉桜がドームのように空を覆って並ぶ校内の歩道に出た。初夏の日光を遮る緑の空間には、いくつもの光の線が漏れる。涼しげな歩道の突き当たりには、少し開けた空間があった。円形のその広場には、ひときわ巨大な桜の木が一本たっている。他の木の追随を許さない、一種の圧迫感すらある巨木。その正面に見覚えのある人物が座っているのを発見した。着ている服は俺と同じ氷帝学園中等部の制服。紺色のブレザーとテニスバッグがまぶしい朝日を反射してどこか儚く霞んでいる。
空を浸食するように枝葉をのばす巨木の前に設置されたベンチに座っている、俺の大切な後輩。
「長太郎」
それは別に特別な日の出来事ではない、まるで前触れのない日常のなかの非日常。あまりにも不意な、事故のように突発的だった。
もちろん俺はその時までこのありきたりな日常が終わる日が来るなんて思っていなかったし、特に根拠もない確信みたいなものをもっていた。日常というものはけっこう盤石なものだし、俺が中学を卒業した後も長太郎とのこの関係はつづくものと信じていたし、今日は昨日のつづきであり昨日の繰り返しだと思っていた。何事もなく平穏に、これからもずっと日常をつづけられるものと俺はどこかしらで確信していた。
だけど、それは、楽観だったんだ。
どうしようもない。
気楽な楽観にすぎなかったんだ。
「・・・おはようございます」
そこには。
あぁ――――なんだこれは。
両手で顔を覆い、クシも入れないボサボサの髪をした鳳長太郎がうなだれていた。顔を覆った指の隙間からは血走った目が覗いている。そんな彼はひび割れた声でつぶやく。
「もう、すべては瓦解してしまった。なのにどうして俺はみじめったらしく日常にしがみつこうとしているんだろう――――助けて。見たくない見たくない見たくない。壊れた日常なんてもう見たくない」
「長太郎!」
俺は慌てて彼を揺する。必死で肩を揺さぶると、放心したような顔をしていた長太郎は少し正気に戻った。
「宍戸さん・・・」
長太郎は、仄かに安心したような顔をした。
「長太郎・・・」
俺は言葉をかけることができない。
彼は特別やつれていたわけじゃないけど、まるで病人のようだった。
手で顔を押さえたまま、そんな彼が信じられないことを言う。
「宍戸さん、白線の外側に羨望を感じることは――――いけないことでしょうか」
俺は意味は分からない。だが、息が止まるかと思った。
+++
どう考えても長太郎はマトモに部活に出れる状態じゃないと思った俺は、となりのクラスの跡部に長太郎の具合が悪そうなので休ませるという旨を伝えに行くことにした。
放課後、まるでさっきの非日常が嘘のように、俺のまわりでは日常が展開されていた。掃除をする当番。下らない冗談を言い合う女子たち。取っ組み合いをする男子たち。教材をかかえる先生。だが、確実に、俺の知らないところで、俺の大切な日常の致命的な歯車が狂っていた。
「おい、跡部いるか」
ドアから顔をのぞかせると、机の前に座って何やら日誌を書いている跡部をみつけた。
「なんだ、宍戸」
俺は長太郎のことを跡部に伝えた。すると彼はうなずき、ならば、今日の宍戸の練習メニューをどうするものかな。と考えだした。
「今日のダブルス練習、転校生と組んでみるか?あいつとならお前は相性がよさそうだしな」
「あいつとか!俺はまっぴらごめんだぜ!!」
俺は吐き捨てるように言う。冗談じゃない。どうしてあんなヤツと組んで練習しなきゃならねぇんだ。
「なんだ、仲が悪いのか?」
「別にそんなんじゃねぇんだど、俺はあいつのことが嫌いなんだ」
「へぇ。自分と同じ存在だからか?自己嫌悪ってやつか。宍戸らしい」
くくっと喉の奥で笑う跡部。俺は少し固まる。
「・・・お前、も――――知っていたのか?」
「俺様に読めないことなどあるわけないだろう。お前たちを見ていりゃ自然と分かるさ。外見だけでなく、内面までも恐ろしく一致していることにな」
跡部はゆるりと笑うと、日誌を閉じた。
「宍戸。お前、昨日転校生に負けたことに憤っているんだろう」
「・・・」
「そして、過去の自分に負けたなんて、と思っている。違うか?」
俺は肯定も否定もできない。ただ床を凝視して、わなわなと震える拳を強く握りしめる。爪が手に食い込む。
「お前が過去の自分に負けたことに憤っているなら、それは違うと俺は思うぞ」
「何だって?」
「お前が負けたのは、過去の自分、ではないという意味だ」
「・・・んなわけねぇだろ。だってあいつは髪が長いんだぜ」
「そうだとしても、もしあいつがお前の過去の宍戸だと仮定すると、ある矛盾点がでてくる」
「ありえねぇ。ありえねぇって跡部」
俺は跡部の言葉をさえぎる。だが跡部はものともせず言葉をつづける。
「転校生と鳳のコンビは驚くほど息があっていた。おかしいと思わねぇか?過去の、まだ髪が長いうちのお前が、あれほど熟練したコンビネーションをつくりだせるなんて、どう考えたってあり得ない」
「うるせぇ跡部!もういい、黙れよ!!」
「宍戸!お前と鳳がダブルス練習を本格的に始めたのは、お前がレギュラーに戻った後だろう!」
「・・・」
俺の肩はわなわなと震えていた。
「・・・それでも」
「あん?」
震える唇をなんとか動かして、俺は言葉をつづる。
どくり。どくり。頭の奥で、心臓の音がする。
「それでも、あいつは俺の過去だ。未来なわけがない」
「・・・おまえには はやがってんするところがあるって俺は知ってるんだぜ?勘は鋭いくせに、肝心なところでいつも読み違える。致命的なところで、いつも読み違える。幼馴染みの俺には分かるんだよ。宍戸、お前の固執しているその考えは、またはやがってんではないのか?」
「違う!」
俺は声を荒げて言う。その頑固な態度に怒りを覚えたか、跡部も眉をひそめる。そして強い口調で言う。
「宍戸、自分が将来絶対に髪を伸ばさない理由でもあるのかよ!」
「ある」
俺は跡部を鋭く睨みつけ、断言する。
「俺はもう二度と、髪を伸ばしたりしない」
そしてそのまま教室を出る。だが、跡部に腕を掴まれ制止された。
「宍戸、お前があいつのことを過去の自分か未来の自分か、どっちととらえるか俺には知ったこっちゃない。だがな、これだけは覚えておけ」
「・・・」
「もしも宍戸の言う通りあいつが過去の自分ならばいいのだが、もしもあいつが未来の宍戸なら、非常にまずいことになる。
もしあいつが未来の宍戸なら、あいつの目的は過去の改竄か、あるいは、過去の自分への、なりかわり、だと考えられる」
「・・・はっ。俺になりかわるだって?そんなことさせるわけねぇだろ。そんなこと、できるわけぇねだろ」
俺は跡部に掴まれた腕をふりほどき、彼に背を向ける。早く部室に行かなければ。もたもたしていると部活が始まってしまう。
「本当に、あいつが過去の宍戸だといいのだがな。だがあいつがもしも未来の宍戸だとなると、俺から見た『今の宍戸』は、何かを失うことになるかもしれない。
例えばそれは『居場所』かもしれない
例えばそれは『大切な何か』かもしれない
例えばそれは――――」
跡部の独白は、俺の耳には届かなかった。日常の静かな雑音に溶けて拡散して、消え去っててしまった。
+++
俺は部活の見学からあがり、皆より先にジャージから制服に着替えようとロッカーを開けた。ブレザーのボタンをかけようとするが、ボタンは指をすり抜けて逃げるばかり。俺は服を着替えるのが遅い。手先が不器用なせいか特にボタンをつけるという動作が苦手で、よく宍戸さんにからかわれたりするのだ。
宍戸さん……。
そのことを思い出し、俺は少し苦笑する。一体なんで、俺はまだこの世界にみじめったらしくしがみついているのだろうか。日常はすでに粉々に砕けていて、俺が必死に日常にかけらを拾い集めたところで何の意味なんてないのに。
無駄に、苦しくなるだけなのに。
孤独に食い破られたみじめで滑稽な喰いカスの俺を見て、あの哲学者はなんと言うだろうか。
――――そうやって、意味のない行為をつづけているから辛くなるのよ。
――――哀れね。愚かね。どうしてあなたはそこまで滑稽になれるのかしら。
冷笑し俺を見下す梅子が目に浮かぶ。
いや、梅子なんて人はいない。あの難解でわけのわからないことばかりを吐く哲学者なんて、もとからいなかったのだ。いるのはいつも自分独り、孤独に耐えきれなくなって自分が創りだした幻想がそこにいただけ。
俺は頭を抱える。へたりこむ。床は刻むほど冷たい。頬はいつのまにか濡れていた。
「……どうしたんだ鳳」
低く、芯のある声が薄暗いコンクリートの箱に反響する。振り返ると、そこには俺が今一番会いたくない人がいた。いや、こんな言い方をするのはおかしいか。だって宍戸先輩は、宍戸さんとは無関係な別人なのだから。ただ顔が似ているだけ。声が似ているだけ。背格好が似ているだけ。性格が似ているだけ。とてもよくできた、単なる他人のそら似なのだから。
「おい、泣いているのかよ」
俺は首を振る。慌てて袖で涙を拭うが、あふれる涙は次々と俺の頬を流れ落ちる。止まらない。止められない。どうすればいいかわからない。やっきになって拭い去ろうとしても、枯渇することを知らない俺の涙はぼろぼろとこぼれおちる。
「大丈夫かよ、何かあったのかよ」
先輩は心配そうに駆けより俺をのぞきこむ。そして、無意味に涙を拭おうとする腕をやんわりと制止して、俺を見つめた。深い、黒が、俺の瞳を射抜く。
「何かあったんだろ鳳、俺に何があったか言ってみろ」
「……」
俺は完全に沈黙した。先輩の強い姿勢に対して、嫌だとは言えなかった。かと言って、先輩の前から逃げることもできない。彼から目をそらすこともできない。ただ、吸い込まれそうに深い色をした瞳を、見つめかえすことしか、できないでいた。
「ためらうなよ、隠すなよ、躊躇するなよ。鳳、何か悩んでいることがあるなら俺に何でも言えよ。だって俺は……お前の協力者だろ?」
「……」
そうだった。先輩は、俺の唯一の理解者だった。自分の先輩の、しかも男の人を好きになってしまった自分に、唯一存在する相談相手だった。頼りがいのある相談相手。何でも話せる相談相手。そのことを、俺はすっかり忘れていた。
「そう……そうですよね。宍戸先輩になら、言ってもいいんですよね。先輩になら、相談できますよね」
宍戸先輩は俺の言葉に深くうなずく。それを見て、俺の涙腺はまた緩くなった。
「俺は……宍戸さんに嫌われて、憎まれてしまったのです」
「……」
「先輩、俺は『死ね』と言われてしまった」
「……」
「彼に死ねと言われてしまった。そして宍戸さんは俺を突き飛ばして去った」
俺はそこで、とうとう我慢ができなくなり鳴咽をあげて泣きだした。
「嫌われてしまった。憎まれて――――しまった。宍戸さんは俺を突き飛ばして、去ってしまった。嫌われてしまった。嫌われてしまった。憎まれてしまった。憎まれて、しまった――――」
俺の声は震えていた。情けなく、弱々しく、震えて、鳴咽をあげて、俺は泣いていた。
「先輩。俺が、白線の外側に羨望を抱くことは、いけないことなのでしょうか」
俺はいつか宍戸さんにもした質問を繰り返した。宍戸さんは理解してくれなかったみたいだけど――――彼は、どうやら理解しているらしかった。俺の言葉を理解して、そして、口を開く。
「鳳、お前……死ぬのか?」
「……」
俺は無言のまましゃくりあげたり、涙を拭ったりしている。
涙で視界がぐにゃぐにゃに滲んでいたものだから、宍戸先輩がこの時、ゆるりと笑ったことに――――俺は気づかなかった。
「なぁ長太郎、だったらさ、お前が死んでしまう前に……俺と付き合ってくれないか?」
・・・・・・。
・・・はい?
俺は意味がわからず先輩の顔をまじまじと凝視する。
「どこにですか?」
「どこにとかじゃねぇよ。そうじゃなくて、んっと・・・」
先輩は至極真面目そうな表情で。
「俺の、恋人になってくれないか」
「ギャグですか?」
「殴るぞ。マジで」
確かにマジな顔なんだけど。
・・・・・・じゃ、なくて。
俺は混乱する。意味がわからない。
わけもわからない。理由がわからない。目的がわからない。宍戸先輩が今したことは恋の告白で、しかし俺には理解ができない。
なんだか一杯食わされてる感じ。
嬉しいとか嬉しくないとかそういう以前に、騙されてんじゃないかとか思う。 俺をからかっているのか、この先輩。
そういう思いを込めて尋ねた。
「・・・・・・わけがわかりません。どうして急に、そんなことを言いだすんですか」
聞いて、先輩は心なしか逼迫した表情をした。
「いいじゃねぇか、好きになっちまったんだから。しょうがねぇじゃねぇか。それに、急なんかじゃねぇ。いつかお前とダブルス練習したときからずっと想ってた。お前は俺とは違う、他人を理解して力になろうとする優しさがある。他人をどこか遠ざけて、独りでいることに平気なことを『強さ』だと思っていた俺とは違う。そんな長太郎が、俺にはうらやましかったんだ。嬉しかったんだ。お前の何気ない優しさを感じていることが。お前がそばにいてくれることが。長太郎、俺はお前が好きだ。ありのままのお前が、俺は好きなんだ」
先輩は真摯な口調で、そう言った。冗談の類では・・・ない。
だからこそ、俺はいっそう混乱した。狼狽した。先輩が俺をそんなめで見ているとは、夢にも思わなかった。だけど・・・俺は先輩の言葉に揺れた。何もかも、唯一信じていた宍戸さんにすら、突き放されて、瓦解しきった俺に、俺を想っていると言ってくれた人。顔も。声も。性格も。何一つ違うところがない。まるで鏡の中から現れたような人・・・・・・宍戸亮先輩。
彼に宍戸さんの姿を重ねてしまった俺に、その存在は大きく響いた。
俺はぼろぼろに疲れ果てていた。身も心も死ぬより苛烈に困憊していた。目を開いても希望はなく、ただ漠然と真っ暗で、唯一の拠り所・・・宍戸さんとの繋がりも失いかけていた俺は、激しく『拠り所』を欲していた。
俺は先輩を第二の宍戸さんにしようとしていたんだ。
なんていう愚か者、俺はそんなに最悪な人間だったのか。どうして自分のことしか考えることができないのか。俺の宍戸さんへの感情は、そんなに冷たいものだったのか・・・・・・。
・・・先輩は静かに。
罪悪感に硬直した俺を柔らかく抱きしめた。
俺のかたくなにこわばった心を解きほぐすように、とても優しく抱きしめてくれた。
他人に最後に抱きしめられたのはいつだろう。いつから俺は他人を抱きしめていないのだろう。利益があるか、利益がないか、それだけでしか他人と触れあわなくなったのは一体いつからだったのか。うわべだけの友達。教室掃除を一人でやる映像。断れないとわかっていて頼み事をするクラス委員。俺に触れてくる手はいつでも何らかの計算を孕んでいた。利益があるなら俺に触れて、利益がないなら、たちまちに去っていく。そんな浅はかで、空虚で、寂しいことは、いったいいつから繰り返されていたのだろう。
そんな俺を。
どうしようもない俺なんかを。
宍戸亮は抱きしめてくれたんだ。
幸せだった。
とても、幸せだった。
それがいっそう俺の罪悪感をかきたてる。
「長太郎」
先輩は、俺の耳元で、幽かにつぶやいた。
「本当に、冗談なんかじゃないんだ。自分でもおかしいのかな、とか、へへ、思ったりもするけどよ、やっぱり、俺は長太郎のことが好きなんだ」
静かな、小さな声だった。しかし彼は耳元で喋っていたので、俺にはよく聞こえた。
先輩の声しか聞こえなくなって。
先輩の姿しか見えなくなって。
世界は宍戸亮で満たされていた。
俺は微睡むような心地よさと、過大な質量の自己嫌悪に、思わず涙をこぼしてしまった。
「先輩」
「ん?」
「俺はどうしようもない人間です」
「・・・・・・」
「それでもよければ、先輩の・・・・・・」
「それはOKという意味か」
俺は曖昧に頷く。頷いてしまった。それを見て、先輩は幸せそうに微笑した。そして、乱暴にグシャグシャと俺の頭をなでる。何もかも一緒。寸分の狂いもない一致。その行動、その仕草、細かい言動まで、全てが、宍戸さんのそれと同じだった。
・・・ふいに、唇に暖かい感触が触れた。それは、俗にキスと呼ばれるものだと気づいたのは、少し後だった。
俺は特に拒まなかった。
誰もいない部室の中。
窓の外の夕暮れに祝福されて。
俺と先輩は長くて短い、真夏の夜の夢のようなキスをした。
心臓の音がうるさくて、思考なんて雪景色で、ほとんどなんにもわからなかったけど、すごくぞくぞくするものがあった。自分の体じゃないみたいだった。
「うっわ・・・・・・」
宍戸先輩は俺から顔を離して、耳まで真っ赤にしてはにかむように笑った。
「・・・・・・なーんか、変な感じ。夢みてーな気分」
「同感です」
それは何ともおかしな会話で、世間一般的な恋人同士とはほど遠い感じだったけれど、それでもどこか幸福で、時が止まって欲しかった。
実際に時が止まったのは、その直後だった。
がしゃり。
何かが音をたてて瓦解した。
07,08,05:UP
07,08,06:ReUP(矛盾点修正)
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