医師の説明によると、長太郎は帰りの途中に後ろから自転車に衝突され、頭を強く打ちそのまま救急車に乗せられて運ばれてきたらしい。一時は意識がなかったが、すぐに気がついて喋ったりできるようになったとのことだ。記憶障害もなさそうだが、ただ、事故のときかなり激しく頭を打ちつけていたこともあるのことや、頭部からの出血がけっこうなものだったので精密な検査をするため数日間の検査入院をすることになったのだ。
だから長太郎は、検査入院をするだけなのに心配をかけるわけにはいかない、と思ってあんな奇行に走ったらしい。携帯電話は病院内では使えない。電源が切られていたのはそのためだったのだ。

俺はこの感情を誰にぶつければいいのか分からないで、いつまでも赤黒いかたまりを引きずったまま母親の見舞いに向かった。べっとりと、怒りが喉の奥に張りついてはがれない。
長太郎には今、合わせる顔がない。今顔を会わせてしまったら、俺はどんなひどい暴言を吐いてしまうことか自分でも想像がつかなくて恐ろしかったからだ。心のいろいろな部分の、我慢や押さえがききにくくなっているのが自分にもはっきり分かる。傷つきやすく、すべての言葉を真に受けてしまう彼の、青ざめた顔が目の裏に焼き付く。
母親がいる病室につくと、母親のベッドの横に兄貴が座っていた。母親は静かに寝てしまっている。
「あれ、亮もお見舞いに来たの? 長太郎と一緒じゃなかったんだ。ちょうど入れ違いになっちゃったんだね、今さっき長太郎は家に帰っていったよ」
何も知らない兄貴はにこやかにそう言った。
「長太郎は家にいないぜ」
「うん?」
「帰る途中に事故って、今は入院してる」
兄貴ははっとした顔をすると、そんなまさかと聞こえない声で言った。俺は続ける。
「まあ、そんな大変な事故じゃなかったし、ぶつかってきたのは自転車だったから大したことにならなかったし、あいつは今はもう元気に起きてるし。一応念のために、入院してるだけだだけどな」
「それでも大変だったね」
「大変じゃねえよ、別に」
「大変だよ、自転車にぶつけられるって、一歩間違えれば死亡事故につながる大変なことじゃないか」
「・・・」
「長太郎のそばにいなくていいのかい? 入院するほどの怪我をするって、そりゃ」
兄貴はそこまで言って、口をつぐんだ。俺が兄貴のことをすさまじい目で睨んでいたからだった。
それ以上一言でも言えば、何の躊躇もなく最も分かりやすい方法で実力行使にでるぜ。今の俺はかなり沸点が低くなっているから、いつどんな拍子に爆発するか分かったもんじゃねえぞ。そういった、ぴんと張りつめた危うい緊張感が兄貴のひたいに刺さる。
兄貴は腕の内側につけられた腕時計を見て、席を立った。
「ぼくはそろそろ家に帰るけど、亮はどうするの」
「別に」
「どうせまた長太郎のことでイライラして逃避のためにここに来ただけなんだろう?」
俺は瞬間沸騰して、兄貴をくびり殺してやろうかという衝動にかられた。
「それに、どうせ自分が怒っている理由は本人に言っていないんだろう。直接は言わないで、察しろとかそういう乱暴なことを長太郎に言っているんだろう? 亮はいつも長太郎に対して無口になりすぎだよな。お前って、いつもそんなに口数多いほうじゃないけど、長太郎に対しては特にそうだよな。一緒にいる時間が長いからって、なんでもかんでも伝わってるって高をくくってるのは危険だよ。お前たちは何も言わなくても伝わることは多いんだろうけど、今の亮はきちんと言葉にしないと伝わらないことまでも削っている。そういう態度は、やめた方がいい」
俺は核心をつかれ、どきりとした。
「・・・なんで俺の気持ちを知ったようなこと言うんだよ」
「何年お前の兄貴を務めていると思っているんだい。お前が生まれたときから一緒にいるんだ、どうして分からないと思うんだよ」
俺は苦し紛れに、煮え切らない言葉を何か吐いた。ちぇ、とか、畜生、とかそういう意味のない、何の生産性もない言葉だった。
兄貴が出ていって、いよいよ病室内は静かになる。俺は窓の外に視線をほのめかした。ひときわ巨大な樹のてっぺんに、ひらひらと一枚の緑だけが揺れている。風もないのに、その一枚だけが夕日を背にひらひら回転しているのだ。その緑と赤のコントラストが、やけに印象的に揺られていた。
俺はまぶしくて、目を細めていた。

俺が長太郎のいる病院についたときには、面会時間はもう残りわずかだった。
「おかえりなさい宍戸さん!」
病院なのに「おかえりなさい」だ? 俺が一瞬ひるんだすきに、長太郎は俺にがばりと覆い被さってきた。
「うわ、お前俺よりでかいくせに抱きついてくんな! てかお前寝てなくていいのかよ、立っても平気なのかよ」
「平気っすよ。平気ですよおれは」
俺の肩に顔をうずめている長太郎が、かすかに震えているのが伝わってきて俺はどきりとした。
「何だよ、どうしたんだお前・・・泣いてんのか」
「すいません・・・さっき先輩たちにさんざん恐いこと言われてて」
「はあ?」
俺の視線に人影がかすめる。見ると病室の奥に、同窓会のメンバー、つまり元氷帝レギュラーが全員集まっていた。どうやら長太郎の見舞いに来ていたらしい。
「宍戸さんのこと、おれが怒らせちゃって、このままだと、二人別れることになるんじゃないかーって。さんざん、脅されたんです」
「・・・お前らな」
俺はメンバーを見ながらあきれて嘆息した。してやったり、といった顔で向日はニヤニヤ笑っていた。
「いやさ、まさか長太郎がそんなに怖がるだなんて思わなかったわけよ」
「だからって限度ってもんがあるだろうが」
俺は長太郎の髪をぐしゃぐしゃと乱暴になでて、どうにか落ち着かせようとした。すると長太郎はわずかに顔をあげて、俺の瞳をじいっとのぞきこんできた。少し赤くなった瞳が不安の色に揺れている。
「宍戸さん、本当に、なにかおれの悪いところがあるなら言ってくださいよ。おれ、がんばって直しますから。何だってしますから。だから、お願いですから別れるなんて言わないでください。何が悪かったんですか、どうしてあんなに怒っていたんですか宍戸さん」
俺は「だからそういうところが」と言いかけて、やめた。兄貴がさっき言った言葉が脳裏をよぎる。
言わなくたって伝わる言葉はあるけれど、言わないと伝わらない言葉もある。俺は、少しそれを削りすぎているところがある。だから、長太郎は今、こんなにも怯えきっている。分からなくて、伝わらなくて、不安になって、怖がっている。
俺は、きつく長太郎を抱きしめて言った。
「俺はな、別に長太郎の悪いとこに怒ってんじゃねえんだよ。ただ、長太郎のお人好しすぎるとこがイライラすんだ。なんでもっと、文句とかグチとか言ってこねえんだよ。そういう、いつも三歩下がって遠くから見ているような、そういう召使いのような態度が気にくわないんだ。そんだけ!」
さっきまでさわさわ話をしていた奴らが、急に静かになった。俺はそのあまりの静けさに驚く。なんでみんなして黙るんだよ。俺は急にあせりはじめ、何かおかしなことを言ってしまったのかと不安になった。
長太郎はおずおずと、口を開いた。
「宍戸さんが、珍しく素直だ」
「んな、そういうこと言うのかよ!」
「いや、ただふとそう思っただけですってば。あ、機嫌わるくしないでくださいよ」
「お前がそういうこと言うから、よけい腹立ったぜまったく! お前は寝てろよ!」
そう怒鳴ると、一気に病室に笑いが弾けた。
「いやーいいこと聞かせてもらったねーはっずかCー」
「せやなー。そういう召使いのような態度が気にくわないんだ、だっけ? うっわー宍戸らしゅうないー」
かっと熱くなって俺は苦し紛れに叫んだ。
「う、うるせえなバカヤロウ! お前ら病院なんだから黙りやがれ!」
だがそれは、ただ笑いに加速度をつけてさらに爆笑をはじけさせるだけで逆効果だった。
顔を真っ赤にして怒鳴る俺と、爆笑しているみんなと、困ったように笑っている長太郎。

俺らはしばらく自分たちが卒業してしまった日々へと戻っていた。